何気に昔の自分のblogの記事を読み返していて、
「無線歴30年-3」の続きは、まさに無期限のまま放置されているのに気付いた。
------------------------------------------
守礼門をくぐるまえに、くぐったのがJR6YAHの「新入生呼び込み」ゲート。と言うのは大げさで、実際はちょこんと並べられた長机の前。JR6TPD等数人が、ハンディ機片手に座っているところへ、「あの〜、無線クラブ入部したいのですけど…」と、私の沖縄での無線活動が始まった。
JR6YAHはコールの通り、復帰前から開局していた由緒ある?クラブ局。瑞慶覧先生を始め、JR6GV等も在籍していたクラブですが、メンバーも減り活動が停滞していたためか、部室すら無い状態をTPD玉那覇先輩等が復活させたばかりでした。実は当時専用の部室もなく、JR6TPC安藤先輩所属の「誕生日ありがとう」というサークルの部室に間借りしている状態でした。
その後「詩吟クラブ」が活動を辞めたのを機に、プレハブ部室を割り当てて貰うことができて、ついに専用部室を確保。しかし、部室のロケーション的にアンテナ設置は非常に困難な状況でした。
JA方向はかなりの崖で、上には学生食堂がそびえ立ち?、アンテナなんて無理ぽ…。なんていっている訳にはいかないので、その学生食堂の傍に立っている椰子の木のような木に、ロープを投げたりしてなんとか7MHzのIVを張りました。沖縄に来られた方ならお分かりになるでしょうが、守礼門から上っていくと、非常にロケーションがFBです。このIVも快調に働いてくれまして、ついでに21MHzを乗せても、さすが沖縄です、ばりばりに呼ばれました。
そう、21MHzは沖縄の天下!!でしたね。これだけで満足すれば良かったのですが、当時住んでいた「学生寮」の屋上にアンテナを上げようなんて変な気を起こしたのが、私の人生を狂わせました…
----------------またまた続く---------------

4