今日、ボヤ騒ぎ(結局、火は出なかったが)があった。
昼過ぎ、一階の郵便受けに手紙などの確認をしに降りて行こうと部屋を出ると、なんだか焦げ臭い。誰かが料理をこがしたのかな〜と思いつつ、その臭いの元を探ると、隣りの部屋の台所付近からだった。
“う〜む。日中、こうして家にいるのは自営業のわたしぐらいだ。普段は、隣りや下の人たちとは、ときどき早朝や夜に顔を合わす程度だし‥いつも昼は静かだから誰も部屋にはいない感じだよな。それに、仮に今日が隣りの人の休日だったとして、それにしては人の気配がない。おかしい‥”と思った。
たまたま連れ合いが仕事が休みだったため、部屋に戻ってそのことを話すが、「大丈夫だろう」という。何の根拠もなくそう言われても‥と思うが、彼は自室のPCモニターにかじりつき腰を上げようとはしない。あきらめて、わたしもしばらく家で再び仕事をすることにした。
そうして、それから30分ほど経ち、お腹がすいたため、連れ合いと食糧の買出しに表に出ることした。すると、やはり焦げ臭い。さきほどよりももっと臭いが強いのだ。そして白い煙が隣の台所付近の換気扇口からもうもうと流れ出ているではないか。
「やっぱり変だよ。おかしい」と連れ合いに言い、隣の部屋のインターフォンを押してもらうが、誰も出てくる気配がない。
“これはヤバイ‥”
料理をしたまま、火をつけ放しで家を出てしまったことが考えられた。それで、慌てて近くの大家さんの家に知らせに行くが、いつもの如く、いない。今度は不動産屋に電話を入れ、事情を話すと、「すぐにこれから行く」といわれた。
それで、わたしたちはひとまずそのまま買い物に行った。2、30分してアパートに戻ると、何度か顔を合わせたことのある不動産屋のおじいちゃんと中年女性が、隣の部屋の前のあたりをうろうろしていた。臭いの元がどこなのか探しているようだった。わたしたちの顔を見ると、「Aさんですか?どこから煙が?」と聞かれ、「そこからです」と言いながら換気扇口を指差すと、「あっ、ここか!確かに煙が出てる」と急に血相を変えた。「110番だ」とおじいちゃんのほうが言った。それからはあっという間だった。消防車のサイレン音がけたたましく静かな住宅街に鳴り響くと、近所から人の姿がじょじょに現れ、このアパートの周りを取り囲むように立ちながら眺めている。
部屋の玄関口の戸を少し開けながら隣の様子を眺めていると、消防隊がやってきた。隣の部屋の戸を開けると、煙がもうもうと表に流れ出た。その状況を見ながらつくづく不動産屋に連絡してよかった、と思っていると、「鍋が空焚き」といった声がその部屋の奥のほうから聞こえてきた。それで人的被害も火災も発生していなかったんだな、と思い、ほっとして戸を閉めた。
部屋に戻ると、台所では、連れ合いが悠長にさきほど店で買った「袋ラーメン」を湯を沸かして作っていた。隣の部屋では消防隊が入り、バタバタ床をふむ音が聞こえていた。窓から下を見ると、そこでもほかの救急隊のメンバーたちがなにやら声を掛け合いながら忙しそうに走り回っていた。
なんとも不思議な感じだった。最初に「ヤバイ」と思ったのはわたしだったが、その後は、まるで自分たちだけがその「ヤバイ」状況とは無関係で、何事もなかったように今までの生活を続けているようだったからだ。
共謀罪も多くのメディア関係者たちにとっては、まったく無関係な話で、わたしや一部のフリーライターやらジャーナリストなどだけが消防隊のようにバタバタと「これはヤバイ」と思いながら走り回っているに過ぎないのかもしれない、などと余計なことまで思ってしまう。
ところで、結局、その後、警察やら大家さんやらがわたしたちの部屋のインターフォンを押し、事情を聞いたりお礼を言ったりして帰って行った。消防隊も、一人が近所に「今回のものは火災ではありません」などとマイクを使って説明して歩いた後、まもなくして去って行った。
食事を終えた頃、連れ合いがわたしにこう言った。「隣の人の顔をまともに見たことなかったけど、これで初めて顔が見れるな。お礼にくるよな」という。
しかしわたしは、「お礼には来ないかもよ」と答える。「まさかそんなはずねーだろ。ひーさんが気付かなきゃ火事になってたんだよ」「でも、実際、火事にはならなかったわけだし、お礼は言いにこないかもよ。そういうことを思わない人かもしれないよ。挨拶もしないし、引越しのときにも来なかったでしょ」
まだ帰宅していないのか、現在、午後10時13分。今のところまだ隣の人は家にやってこない。わたしは多分、ずっとこのまま家にはこないように思う。
午後11時10分過ぎ、この原稿の校正を済ませる頃、隣の人が挨拶にきた。さすがにこういうことではお礼は言えるのか。二十代ほどのきれいな女性だった。大変、恐縮していた。隣りの引越し以来、初めて顔をまともに見た(苦笑)。

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