久々に日本語をタイプできる環境に戻った(笑い)。
今、タイのバンコクにいる。あと2、3日長ければ、恐らくインドでの取材にバテていたことだろうと思う。
が、なんとかチベットのダライラマによる平和を祈る宗教儀式も終わり、今、帰国の途上にある。
語学力のなさ、日本とはかけ離れた生活環境(インドにはこれまで何度か行ったことはあるが、取材は今回が始めて)下での取材で、すっかり精神的、肉体的体力を消耗した。
しかしチベット人たちはもとより、世界各国や地元から集まったジャーナリスト、記者などとの交流は、かけがえのないものとなった。
ダライラマへの質問は、ダライラマがローカル記者を優先したため、質問を受けてもらうことさえできなかったが、そんな中、その質問のことをきにとめ、その内容を地元紙で記事にして紹介してくれた記者がいた。
結果的には、ダライラマに限らず、南インドの少なからずの人々に憲法九条のこと、日本の九条をとりまく現況を少なからず伝えられたと思う。
またインド人による仏教関係のドキュメンタリーフイルムに短い出演を果たした。たどたどしい英語で話し、また赤裸々?な(苦笑)チベットとの関わりを簡単ではあるが話すこととなり、個人的には赤面ものの、悲惨なものだった。
けれど、こうした平和を祈る「カーラチャクラ」の儀式に、日本人のジャーナリスト(ルポライターといっても通じずらいので、ジャーナリストと地元の人たちには自己紹介した)が取材のため海外から来ている、ということがインド全土に知れ渡れば、少しは日本にも非暴力による平和を希求するメディア関係者がいることを知ってもらえるのではないか、と思う。そこまで考えて取材をOKしたわけではないけれど、今にして思えばそう思う。
共謀罪のことは十分、他国のジャーナリストなどに伝える時間的余裕も体力もほとんどなかったが、これらの交流を通し、今後、そのことを伝えていくことが可能だと思っている。その種は十分、まけたか、と。
そうそう、肝心の共謀罪についてだが、取材地で話を聞かせてもらったチベット在住のチベット人僧侶の話によると、彼の暮らした村では、18才以下の子どもたちは僧侶になることを希望しても、中国政府の政策(ただし、ほかの地域では子どもの頃から僧侶になれるケースもあるようで、地元の公安警察の中国政府の政策を実際に行使する上での、恣意も大きいのではないかと思われる)によって許されていないという。18才をこえ、たとえ僧侶になれても、今度は、彼のような僧侶が何人か集まり、チベット仏教を学ぶことは禁じられている、と言っていた。
その話で思い出したのだが、こうしたケースは内容は違っても、中国の漢民族も似たような思いを現在、している。
ある中国在住の人の話によれば、中国政府の政策により、日本でいう平和を求める内容の集会や催しは、いっさい禁じられ、やはりそうした目的で人が多く集まると、地元の公安警察がそれをなんとか阻止し、組織やグループなどを作ったり、維持したりできなくするといった話を聞いたことがあるからだ。
これらは中国では「共謀罪」という罪名があるわけではないようだが、結局、今、日本の国会で継続審議となっている「共謀罪」の法案も、つまりはこういう社会を目指しているものなのだろう、と思う。
権力を持っている人間たちにとって、都合の悪い人々の表現活動などを制限し、究極のところ、権力を持たない人間たちの人としての自由を奪い去り、不自由にさせるためのものなのだ、と。何のために???
そこを掘り下げ、人々に伝えていくのがジャーナリストや記者の仕事ですね。はい、ガンバリます(苦笑)。
話は戻るが、しかし自由(ときどき自由を、リスクを背負わない自由と履き違えている人たちはいるが)に育った世代は、自分も含めてだが、不自由な環境を実のところよく知らない。
むしろもともと管理教育の中で、ひとつの価値観を国家や直接的には現場の教員たちなどから持たされてきた。わたしたちは「なに不自由なく育ってきた」ようでいて、実のところ不自由な環境にかい慣れされ、それを自由と思い込んで生きてきたのかもしれない。
簡単にいうと、わたしたちの多くは「柵の中のニワトリ」だ。
食品用に一定の資料を与えられ、養鶏者によってヒナから適度に成長するまで育てられる。目的はひとつ。
「食べられる」ためだ。
ニワトリが食品用に自分たちが育てられているという考えを持っているかどうか、ニワトリではないわたしには知る由もない。
ただ、人間のわたしたちは、自分たちの置かれた状況を知り得る、考える能力がある。
ゴータマシッダールタでさえ、王家に生まれ、「何不自由ない」生活で親などから育てられてきたのに、ある日、貧しい老婆の姿(確か記憶によれば)を偶然、目にし、それで出家を果たしたぐらいだ。柵の中にもたらされるささやかなきっかけが、その人たちを世界の見えない状態から世界をありありと見られる世界へといざなう、その何らかのきっかけになるとは思う。
わたしたちは柵の中に育ちながらも、まだ少なからずそのきっかけが得られる機会があると思うのだ。
しかし、共謀罪が成立すれば、そのささやかなきっかけさえも失われていくことになるだろう。
そんなことをこのノー天気なヒッピー天国のカオサンで、脳がとけそうになるのをなんとか抑えつつ?考えている。
(※管理人注:西村さんは「暗証番号を忘れた」とのことなので(苦笑)メールで送ってもらった文章を岩本が代わりにアップしました。数日中には日本に戻ってくるとのことなので、今後の書き込みに乞う御期待!)

0