“ 牛乳を 吐くほぅど飲んで 星まで白く!?” 抹 茶
大相撲九州場所において、横綱 ・
白鵬が
年間85勝の最多勝新記録を樹立、
“
角聖 ”と呼ばれた大横綱 ・
双葉山と並ぶ
12回目となる優勝に花を添えた。
2005年に
朝青龍が作った年間84勝。
もう誰も破ることはできないとまで
言われた記録を塗り替える偉業達成。
不世出の記録を残す横綱の誕生だ!
白鵬翔はモンゴル国ウランバートル市出身。本名は
月曜日の幸福という意味
ムンフバト ・ ダヴァジャルガル。父
ジグジドゥは
モンゴル相撲で5年連続
6度の優勝を果たした元
アヴァルガ。これは大相撲の横綱に相当するらしい。
また、メキシコ五輪レスリング重量級銀メダリストであり、モンゴル国で初となる
五輪メダルを獲得した “
国民的英雄 ” である。同国出身の
旭鷲山をつてに
モンゴル人6名と共に来日するが、他者の入門が決まるなか小柄だった白鵬を
受け入れてくれる部屋は最後までなかったという。当時の宮城野部屋はまさに
弱小部屋だったため厳しいしきたりも少なく、育ちの良い白鵬に伸び伸びと
やれる環境が功を奏した。ただし、父親の実績なぞ知る由もなく、小柄な体から
大きな期待はしていなかったという。その一方で、大きな手足と腰、柔らかい
筋肉などから、
もしかしたら化けるかも?と思い、入門してからの2カ月間は
稽古をさせず毎日
吐く程に食べさせ、牛乳を飲ませた。四股名は横綱 ・ 大鵬と
柏戸にちなんで、
柏鵬 ( はくほう ) とする案があったが、
色白だったことから
白鵬と付けられた。番付に名前が載った5月場所は身体の小ささもあってか
3勝4敗の成績で、後の横綱としては
異例の序ノ口での負け越しを経験する。
しかし、食文化の違いを苦にせず大食漢だったことと自身の熱心な稽古により
大きく成長し続け、番付を駆け上がることになる。実際、皆勤しての負け越しは
初番付となった5月場所と三段目時代の7月場所 ( 3勝4敗 ) の2場所だけで
これ以降は休場を除き負け越していない。おらの替え歌 『
春ラ!ラ!ラ!』 で
紹介した38場所連続負け越しの不名誉記録を持つ
森麗 ( もりうらら ) と
大違いである。そんな
史上最弱力士!?も今場所
初の勝ち越しが決定・・・。
さて、最近までは
まだ朝青龍の方が強いとの声が多数だったモンゴル国民も
大記録を塗り替えたことで大盛り上がり!

日本での国民栄誉賞に相当する
「
労働英雄賞 」 受賞は決まり、偉大な父親に並んだ・・・。
(−。−)げこっ♪
< 参考資料 > フリー百科事典 『 ウィキペディア ( Wikipedia ) 』

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