激筆?一筋 命を賭けた ジャイアンツの ジャイアンツの旗の下
1942年12月30日、一般紙であった 「
報知新聞 」 の経営難により、
そのまま
放置?されずに読売新聞系スポーツ紙となる。読売グループの
スポーツ紙であることから当然、ジャイアンツの情報には強く 『
Gの機関紙 』
と呼ばれる。1面の見出しは当初は
朱色を使用していたが、1983年頃から
緑色を使用し 『
グリーン報知 』 という愛称が付けられた。学生時代から
ずっと “
ホーチミン!?” だったおら、愛知県一宮市に引越しをした時も
愛読は続けていたが、中部版の見出しは緑ではなく朱色に戻っていた…。
1872年に
前嶋密 らによって「
郵便報知新聞 」 が創刊される。もともと
この新聞は
大隈重信 ( 立憲改進党 )系 の政論新聞として知られたが、
自由民権運動の退潮とともに人気が下がり、1894年に大衆紙に転向する
とともに 「 報知新聞 」 と改題された歴史を持ち、1901年の正月紙面では、
有名な 「
二十世紀の豫言 」 ( 20世紀の予言 ) を発表。1920年には
「
東京箱根間往復大学駅伝競走 」 を創設した。
〜Wikipedia より
『
激ペンです ― 泣いて笑って2017試合 』
( 白取晋 著 ) という本がある。
「 切れ味鋭いタッチでアンチG党からも愛された野球コラムの最高峰。
それは巨人に半生を捧げた男のロマンであった。史上最強の巨人番記者
の名物コラム 」。報知新聞の白取晋記者は、そんな風に紹介されている。
コラムとは言っても、ドラマ性のある文章が中心となる
山際淳司氏とは違って、
『
激ペン記者 』 は、まさに愛するジャイアンツの “
叱咤激励の場 ” として、
報知紙面でコラムを展開していた。おらがホーチミンだったのは彼のコラムに
よるところがかなり大きい。山際さんも尊敬するコラムニストではあるが、
Gファンのおらにとって白取氏は唯一、尊敬できる記者と言えるのだ。
部屋の大掃除をすれば、
このコラム本が見つかりそうな気がしてきた。
年末はできんから、来年になったら探そうっと・・・。
(−。−)げこっ♪

0