風の噂で聞いたけど 君はまだ燃えていると オーオー ジョニー
それだけが オー ジョニー ただ嬉しくて by アリス
ロッテを戦力外となった “
ジョニー ” こと
黒木知宏投手が現役引退を決意。
球団から戦力外通告を受けた後も現役続行を希望、合同トライアウトを受けず、
国内の他球団から声が掛かるのを待った。獲得に興味を示していたヤクルト、
西武も撤退し、自らの34歳の誕生日を前に新たな道を歩む決意を固めた。
『 ジョニー 』 という愛称は、入団時に黒木自身が 「
ジョニーと呼んでくれ! 」
と言ったのがそのまま定着した。ウイスキーの 「
ジョニ黒 」 に由来する説、
社会人時代に山本譲二に似ていたことから 「 ジョージ 」 と呼ばれていたが、
あまり気に入らずに新しい愛称を公表した説、さらに同じ年にドラフト1位で
入団の大村三郎の登録名 「
サブロー 」 への対抗意識?からとする説もある。
“
イチローがその実力を認めた選手の一人 ” にジョニー黒木が挙がる。
決して球が速いわけでもズバ抜けた変化球があるわけではないが、“
エース ”
と呼ばれる前から 「
球に気持ちが入っている 」 & 「
一番タフな対戦相手 」
と高く評価していたらしい。“
魂のエース ” とも呼ばれた所以はここにある。
背番号 「
54 」 は前任の
石田雅彦 ( 現 ・ 打撃投手 )より譲られてから不変。
ドラフト上位入団にも関わらず、重い番号という球団の扱いに対して最初は納得
していなかったそうだが、石田の 「 お前の為にこの番号を暖めておいたよ 」
との発言にリラックスできたことを恩義に感じ、後年にエースナンバー 『
18 』
への変更について、球団から打診受けた際も固辞したというエピソードがある。
余談になるが、この石田氏はおらと同級生。正確には中学校の同級生
K杉が
ボーイズリーグ時代に
東日本代表で選ばれた時のチームメイトなのである。
東のピッチャーは石田&K杉、西の代表ピッチャーは
桑田真澄だったそうな。
川越工からロッテオリオンズにドラフト1位で指名を受けた石田投手を評する
K杉曰く、“
中学生時代は俺のほうが断然上だった!” と自慢してたね♪
全盛期には1億8千万円だった年俸が10分の1以下にまで下がったものの、
ファンから絶大な支持を得ており、登板時には誰よりも大きな声援を送られた。
通算成績 199試合登板 76勝68敗1S 防御率3.43 879奪三振
今年は開幕一軍を得たが、4月27日の対西武戦1試合のみの登板となる。
せめてあと1試合は投げさせたかったね。球界随一のイケメンなのに飾らない
宮崎訛りのキャラが好感触♪13年間、お疲れっした・・・。
(−。−)げこっ♪
< 参考資料 > フリー百科事典 『 ウィキペディア ( Wikipedia ) 』

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