“
そうだ 京都、行こう。” 某元国営企業CMみたいなツアーが敢行された。
それぞれ京都に行く目的のある友人に便乗して、中学校の修学旅行以来となる
京都滞在だ。「 家なき子 」 風だと
同乗するなら、おら送れ!?って感じ。
岐阜を深夜1時過ぎに出発、3時頃から京都市内は河原町のバーで飲んだ後、
シャワー付きのネットカフェで仮眠をとり、午前10時から目的地へ向かうのだ。
お墓参り、女人厄除け、伏見稲荷、そして少し遅れたおらの厄除け祈願・・・。
皆、それぞれの目的を胸に秘め?おらは厄除けよりも 「
寺田屋 」 を訪れる
ことをメインに行動していた。最近、複数のメディアによって取り上げられている
ホットな話題 「 京都市は実際に騒動が起きた?当時の建物かを確認し、
当時の建物でないと判明した場合、展示方法など是正を求める方針を決めた 」
という寺田屋である。この “
寺田屋事件 ” とは、江戸時代末期の京都郊外の
伏見 ( 現在の京都府京都市伏見区 ) にある旅館で発生した事件 ( 騒動 )。
1862年に発生した薩摩藩尊皇派等の粛清事件。また、1866年に起こった
伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の2つが俗に寺田屋事件と呼ばれている。
ネットであらかじめ調べた寺田屋さん最寄りのお寺の御神籤では予想通りの
「
凶 」 をひいてしまう自分。蚊にも刺されまくったから、これもうなづけるなぁ。
宿泊中の龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした事件。
同宿の養女 ・ おりょうの機転と護衛の三吉慎蔵の働きにより危うく回避して、
西郷隆盛の斡旋により薩摩領内に潜伏する。おりょうは風呂から裸のままで
2階へ駆け上がり危機を知らせ、龍馬は主に銃で反撃。このピストルを発射
した痕と言われる
弾痕&刀痕が当時の船宿として、そのまま現存する。
「 この寺田屋の建物の中で歴史が作られたのでございます… 」 館内に流れる
音声解説がレプリカでは?との疑惑に拍車をかけたのだが、「
当時のまま 」
を謳うのは、
食品偽装ならぬ観光偽装!?ではないかとしているようである。
そんな中でおらは龍馬が泊まったとされる部屋に座り込み、日本の行く末を?
案じていた。さて、それぞれの
目的を果たした一行は午後に錦市場で集合し、
ランチを食べ終わった後すぐに岐阜に戻る “
京都弾丸ツアー ” は終了!
おらだけは蚊にも食われ、
弾痕ツアーになったかも・・・。
(−。−)げこっ♪
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