今日は久々にフルコートサッカーの試合に出たのだが、残念ながら負けてしまった、オレです。
午前中にサッカーしたから、中国武術の練習に東京へ行くのを止めて、自分で練習した。
終わってみたら東京へ練習いっても良かったくらいの体力はあったかも。
ペルーの話は、
クスコ周辺の遺跡について。
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まずは、『
タンボマチャイ遺跡』。

(たぶんこの画像はタンボマチャイだと思うけど、正しくは覚えていない…。)

ここは聖なる泉といわれていて、常に水が流れている。
しかし、どこから水を引いているのか、その水源は明らかになっていない。
石の文明 インカ帝国であるが、その
灌漑技術の凄さも目を見張るものがある。
標高3000m以上、雨期もあれば乾期もある。
この過酷な土地を起点として勢力を伸ばしていくわけですから、その経済力を支える農業技術、そしてさらに農業技術を下支えする灌漑技術の凄さは必須であったといえます。
ちなみに、クスコの近くには
ウルバンバ川という川が流れていて、人々の生活を支えています。
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次は、『ケンコー遺跡』。
インカ帝国の祭事を行った祭礼場だったようです。
生贄の台と思われる大きな石もあり、その姿はピューマの形をしているといわれています。
石の下には地下室もあるようだったが、オレの体格では狭くていけなかった。
生贄の血を流して占いをするなどは、北中南米のネイティブアメリカンに共通した文化でもあり、その共通性が面白いと感じる。
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最後は、『
プカプカラ遺跡』。
残念ながら写真はない(キパ。
プカプカラは赤い遺跡といわれる軍事的拠点であるとガイドブックには載っている。
クスコとマチュピチュを結ぶインカ道に設けられた道標のようだ。
そういった軍事的な役割をもっているのと他に経済的な意味ももっていると言われている。
インカ帝国の農業は、標高によって生産するものを変えていた。
数百種類もあるポテトやとうもろこし、リャマやアルパカなどの家畜の飼育を行う農地は、標高で分けられている。
狭い山肌に作られた畑を効率的に活用するためのケチュア人の知恵である。
参考サイト:
Potato Web, Potato Topics
PENTAX FORUM インカの末裔と暮らす −アンデス・ケロ村物語−
プカプカラはその農地の最高地点を示している印でもあると考えられている。
プカプカラよりも高い位置は神の領域という聖なる地。
実際のところ、たいした植物も育たないのである。

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