鉄道の橋は「橋梁」と言いますが、なぜか兵庫県北部の山陰線にある餘部だけは「鉄橋」という言葉がよく似合います。
それだけ堂々と空高くそびえる見事な鉄の橋でした。
現在は新線が開通して、昔の鉄橋は橋脚2本が残り、道の駅がオープンしたそうです。
昔の鉄橋は、明治45年に開通しましたが、当時の技術力と芸術性には目を見張る物があります。
私は、高校時代に山陰を旅して、初めて餘部鉄橋を見た瞬間、その美しさに虜になってしまいました。
また、忘れもしない昭和61年の12月28日、お座敷列車の「みやび」が転落した、昨日はまさにその日でした。
列車転落事故で犠牲になった6名のご冥福をお祈り致します。
さて、話は今から7年前のこと。
餘部鉄橋の架け替え工事を担当されているSさんに、道しるべをご利用いただきました。
その後も年賀状のやり取りがあったのですが、昨日Sさんに久しぶりにお越し頂きました。
当時、資材を餘部港に陸揚げして建設現場まで運んだこと、また一つ東にある鎧駅まで資材を貨物列車で運び鉄橋を建設したことなど、当時の写真から判明した興味深いお話を沢山お聞きしました。
そのため、山間にある鎧駅の構内操車場は随分と広く、貨物列車が資材を次々と運んできた様子が目に浮かぶようです。
さて、Sさんからお土産に餘部鉄橋の橋脚の一部と橋梁のレール、久谷駅のレールを頂戴しました。
最近では町おこしのために古い線路を切り売りすることもあるみたいですが、建設会社に頼んで、私のために(?)線路と橋梁をわざわざその場で切ってもらい、Sさんにお持ちいただいたことが感激です。
寝台特急「出雲」や「はまかぜ」、「まつかぜ」などの特急が駆け抜けた餘部鉄橋の一部は、錆でボロボロになっていますが、100年もの間日本海の風雪に耐え抜いたその功績は計り知れません。
私の宝物がまた一つ増えました。
餘部鉄橋のように頑張ろうと、元気をいっぱいもらった1日でした。