朝、外気はとても冷たく、今日一日無事に走れるか心配です。
朝食をいただき、曇天で利尻は見えないのですが、ここまで来たのだからオロロンラインを走ることにします。
いくら走っても稚内方面へ向かう車がなく、不思議な気分がしたので、駐車スペースに停まってみました。
すると、約10分ほどで一台のトラックが通過して行きました。
利尻富士は全く見えなかったのですが、一瞬雲が消え、五合目から上が頭を出しました。
せっかく来たのだから、挨拶してやるかと言わんばかりに。
そしてすぐに消えてしまいました。
一昨年来たときも、曇っていて見えなかったので、貴重な一瞬でした。
抜海駅に寄り、野寒布岬に着いたのは朝9時前だったので、どこの店も閉まっています。
「無敵のウニ丼」の樺太食堂もありました。
稚内には何度も来ているのですが、自走は初めてで、知らない町を抜けた途端に見慣れた駅が現れて、不思議でした。
松坂大輔記念館に入り、156キロの豪速球を初体験。
うなって飛んでくる球は見えません。
これを投げるのも打つのも神業です。
松坂は祖父が稚内の人だそうです。
宗谷岬では最北端給油証明書と到達証明書を手に入れました。
今日の昼過ぎの5分間くらい、国内日本人で最も北の男になりました。
浜頓別までの238号は、オホーツク海からの風が強く、気温も6℃と低かったので、根性の走りでした。
一台のバイクとすれ違い、初めて挨拶を体験して感動でした。
強風と闘ってたチャリダーにも激励の手を振り、まだ過酷な人がいるんだと元気付けられました。
浜頓別からは旧天北線沿いに走り、鉄道の盛り土や鉄橋が何ヶ所もそのまま残されていたのには、驚きでした。
昭和54年頃に急行天北で何度も通った鉄路です。
小さな町には、昔の駅前に商店が並んでおり、すぐに判ります。
主役を失った町の駅前が可哀想でした。
楽しみにしていた音威子府の駅そばが、今日は休みでガッカリ。
ショックを受けたまま名寄を経由して、オホーツク海沿いの町興部のライダーハウスに来ました。
とほ宿の「ひなた母校」があるのを忘れていて、後悔しています。
でもライダーハウス初体験です。
近くに良い温泉もあるのですが、今夜は気力がなく断念しました。
夕食もセイコーマートで買った弁当で済ませました。
寝袋に入ったまま出る気になれず、寒いので風邪をひかないか心配です。
明日の行程は未定なので、寝る前に考えてみます。
宗谷岬は団体客で賑やかでした
