今日雑誌を読んでいたら、高知県の四国山地を源流として徳島県を流れる吉野川には、54本もの橋が架かっていることがわかりました。
その中で徳島県だけでも31もあります。
私の高校時代には徳島市内には北行きの吉野川大橋、吉野川橋と名田橋しかなく、橋を渡る車で朝夕は大渋滞でした。
その後吉野川大橋の南行き橋が完成し、10年ほど前には四国三郎橋が出来ました。
しかし車の登録台数が急激に増加し、現在でも朝夕は橋を渡る車で渋滞が発生します。
吉野川に橋がまだなかった頃、国鉄高徳線の鉄橋もありませんでした。
それまでは阿波鉄道が運営していた吉野川連絡船があり、高徳線の中原駅から富田橋まで行き来していたそうです。
中原駅は、現在の吉野川橋梁から東へ1キロあたりの場所なのですが、当時の遺構は残っていません。
また、富田橋は現在の徳島県庁の横にある橋です。
徳島市で実施されている「ひょうたん島クルーズ」のボートがシーズン中に「撫養航路」として鳴門までクルージングをしていますが、この船が当時連絡船が通ったコースを走っています。
道しるべでも、1度このクルージングイベントを実施したことがありますが、大好評でした。
さて現在では徳島県に豊富な地下水を与えてくれる吉野川ですが、江戸時代には日本三大暴れ川として有名でした。
吉野川が四国三郎、利根川が板東太郎、筑後川が筑紫次郎と親しみを込めて呼ばれていました。
吉野川の中流域である吉野川市付近には善入寺島があり、ここには大正4年まで500戸3000人が住んでいたそうです。
しかしその後、国が土地を買い取り、今は無人島になっています。
この島は、川の中にある島としては日本最大で、500ヘクタールもあるそうです。
徳島県に多大な恩恵を与えてくれる吉野川ですが、第十堰の問題を抱えた頃もありました。
また現在では、吉野川大橋の河口側に2年後完成予定の「東環状大橋」を建設中です。
この橋は、高松道の鳴門ジャンクションから徳島道の徳島インターを結び、県南へと向かう大動脈となります。
徳島道と高松道が結ばれるのは望ましいことですが、ただ、徳島市をバイパスで抜け南へ伸びるこの橋がどれだけの価値があるものか、私は疑問を抱いています。
それだけの資金があるのであれば、徳島本町交差点を立体交差にする方がよほど有効かと思いますが。