今日は、気象学上の特異日です。
狩野川台風、伊勢湾台風、そして洞爺丸台風が来襲したのも今日でした。
昭和29年の今日、台風の強風をやり過ごすために函館港の防波堤の外で停泊していた国鉄の洞爺丸が、午後7時頃、風に煽られて座礁転覆し1183名の死者を出しました。
当日は外国船籍の貨物船が函館港内に座礁しており、衝突を避けた青函連絡船が港の外で退避していました。
また現在のように気象衛星もなく、気象レーダーしかない時代のことで、目測で台風の様子を判断するしかありませんでした。
それと、この台風は当日の朝九州に上陸し、その後も勢力を965(当時ミリバール)を維持しながら、速度を約100キロにあげました。
そして、北海道の沿海では956ミリバールになり、速度も40キロに落として北海道を襲ったのでした。
雨はさほど多くはなかったものの、風が強い台風でした。
また青函連絡船も貨物車を満載にしており、重心が高かったことも転覆した原因です。
この事故以降、沈没した4隻の連絡船ですが、技術的に改善や向上がなされました。
そして、この事故をきっかけとして、「船を使わずに安全に海を渡りたい」と国を動かして、青函トンネルの計画が始まったのでした。
私は青函連絡船に13回乗っています。
学生時代は毎回往復で利用したのですが、就職後の1回だけは飛行機で北海道へ行ったので、奇数になっています。
あのような大きな船が、強風で沈没するとは信じられません。
またドック入りで難を逃れた摩周丸には、ダイヤの関係で何度も乗りました。
洞爺丸台風以来、63年の月日が流れました。
大切なご家族を亡くされたご遺族の方は、1日たりとも亡くなった方を忘れたことはないと思います。
人は悲しい災害や事故を乗り越えて、強く生きる宿命にあります。
そして、今までにどれだけ多くの涙が流れたことでしょう。
洞爺丸の犠牲者が、青函トンネル建設の背中を押してくれたことは間違いありません。
そして今は、青函連絡船に乗る必要はなくなり、青函トンネルをくぐり新幹線も北海道へ渡りました。
私は夜景が美しい函館山は大好きです。
しかし函館に行く度に、目の前の港で大勢の人たちが苦しんで亡くなったことを、どうしても思い出します。
だから函館は悲しくなるので、あまり行きません。
63年前の今日、洞爺丸台風で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。