先日、倉敷マスカットスタジアムを訪れたときのこと。
場内アナウンスで「代打鳥谷」が告げられると、場内は大歓声に包まれました。
そしてその地響きのような歓声は、聞き慣れたヒッティングマーチに変わっていきました。
苦悩の時代を支えてきたミスタータイガースの登場です。
甲子園、ナゴヤドーム、大阪ドーム、東京ドーム、西武ドーム、マリンスタジアム、横浜スタジアム、神宮球場、宮城スタジアム、札幌ドーム、富山アルペンスタジアム、福岡ドーム、那覇スタジアム、そして倉敷マスカットスタジアムと私が行くところに鳥谷選手のヒッティングマーチが必ず流れていました。
また道しるべがオープンした2004年から鳥谷選手の連続試合記録が始まったので、道しるべと共に歩んできた道のりだと私は思っています。
そして鳥谷が打てずに負けたのなら仕方ない、と今でも本気で思っています。
鳥谷選手は全盛期に比べると、視力が少し落ちてきたのではないか、と思っています。
選球眼も悪くなり、ボールと思ったストレートを見逃して、ストライクとコールされることもありました。
そしてバットの芯で捉えられなくなったのかもしれません。
ちょうど道しるべのエアコンやボイラーが故障したりするのと同じように。
そりゃ10年も使っていたら、どこか故障します。
畳も14年が経過して、かなり磨り減ってきました。
そろそろ交換時期ですが、お遍路さんにたくさんご利用頂いた証でもあるし、私の中には鳥谷選手が頑張っている限りは交換しない、という張り詰めた強い気持ちがありました。
そして次第に監督と折合いが悪く、スタメンから外されるようになった矢先のことでした。
29日に甲子園で行われた交流戦最初のソフトバンク戦は、終始攻勢に回りながら9回に柳田選手に打たれ、倉敷から続いていた連勝は途切れてしまいました。
そして鳥谷選手の14年間連続試合出場1939試合という大記録に終止符が遂に打たれたのでした。
スタメンや代打でなく、代走などでも使えなかったのか、と思います。
「記録はいつか途切れるものなので、今まで使い続けてくれた監督さんに感謝したい」
このコメントにも感動しました。
そして、同じような記憶が蘇りました。
田淵、江夏がトレードされた時。
村山、掛布が引退した時。
何とも言えない胸が熱くなる想いをしたことを覚えています。
夜、私は何故か泣けてきました。
記録の偉大さ、悔しさ、情けなさ、悲しさが入り混じって、まるで自分のことのように。
監督とはどのような話があったのかはわかりません。
しかし、タイガース一筋でプレーしてきた鳥谷選手の気持ちを思うと、悔しくて夜遅くまで眠りに就くことはできませんでした。
過去に途切れた記録を追い続けても、未来には何の意味も価値もありません。
前を向いて今日から気分一新、スタートです。
タイガースは、どちらかと言うとFAで消費期限の切れた「選手の墓場」と化した弱いチームだと私は思っています。
鳥谷選手も重くのしかかった記録を肩から降ろせば、快進撃が始まる予感がします。
そして可能であれば、鳥谷選手にはチームを離れてパリーグで、また違ったプロの野球を選手としてコーチとして勉強して欲しいと思います。
そして将来は、パリーグの野球にも勝つ実力を身につけて、監督として強いタイガースを支えて欲しいと願っています。
「さあ、今日から鳥谷選手も道しるべも生まれ変わるぞ!」
って、何の関係もないんですけど、まずは畳の見積もりを取らなくちゃ。