来年7月、日本がIWC(国際捕鯨委員会)を脱退して、商業捕鯨を再開することを発表しました。
子供の頃、私は鯨の角煮が大好物で、毎日のように弁当で食べました。
固そうな肉が、一度噛むと口の中で柔らかくホロっと砕けて、醤油の味がする鯨肉の香りが広がります。
私は学校時代に給食の経験がなかったので、母に頼んで好きなものを弁当に入れてもらえました。
そのため、冷たい弁当が大好きで、コンビニで弁当を買っても温めることはしません。
そして、悲しいかな1986年のIWC加盟以降は調査捕鯨だけで、日本人が普段鯨肉を口にすることはなくなりました。
考えてみれば、日本人は江戸時代から近海捕鯨を行い、脂身は石鹸にしたり、髭はバネにしたり「鯨は使えないところがない」と言われました。
日本人にとって鯨は、昔から貴重なタンパク源だったのです。
また太地や安芸の町は捕鯨で賑わい、その捕鯨が目的でペリーが黒船で来航した、という噂もあります。
私が野球を覚えた小学校低学年の頃、横浜に「大洋ホエールズ」がありました。
名前の通り大洋漁業が持つチームで、帽子には「W」のマークがトレードマークでした。
平松、田代、斉藤、長崎、松原、シビン、ボイヤー、遠藤と実に個性のある選手が揃っている時代でした。
そしてTVで捕鯨船を初めて見た時、大きな鯨を飲み込むように巨大な口を開ける捕鯨船に、「どうしてこの船は沈まないのだろう」と不思議に思いました。
そして、ハーマン・メルビィルの「白鯨」を中学の時に読み、海に命をかける男の仕事、捕鯨があることを知りました。
白い鯨のモビィディックに復讐する船長の話です。
そして近年は、博多と釜山を結ぶJR九州のジェットフォイルが鯨と衝突して動かなくなったと、しばしばニュースで流れていました。
この30年の間で鯨が十分に繁殖して増え、「ホエールウォッチング」も室戸岬などでは、人気の観光となっています。
南極近海では捕らず、種類や数も限定するようですが、捕りすぎないよう政府が管理することは大事です。
しかし、それ以上に外国の顔色を伺って金魚のフンのような行動を断つことに意義があります。
アメリカやオーストラリアが何と言おうと日本は日本の考え方で、独自の路線をしっかりと見据えて前に進むことが最も大切です。
スーパーのお惣菜コーナーに鯨の角煮が並ぶのかと思うと、懐かしい味と沢山の思い出に感激です。
鯨肉は、江戸時代から日本人の食文化なのですが、それにしても日本人は何でも食べることに驚きますけど。