慶応4年の元旦を明治元年元旦に改元して以来、こんなに喜ばしい改元を経験したこと、それは私の人生最高の1日だったと思います。
明治も大正も昭和も天皇陛下の崩御により改元されたので、お祝いムードではありませんでした。
と言っても私は昭和天皇の崩御しか経験していませんが。
そして新元号は「令和」に決まりました。
何という素晴らしい響きの元号でしょう。
私は五島列島で勤務していた時に娘が誕生し、名前を考えた末に「玲海」と付けました。
「海のように澄んでいて美しい」という意味があります。
新元号令和の由来を聞いて、その時のことが頭をよぎりました。
そして、私の娘も自分の名前を気に入ってくれています。
「令和」は日本最古の本、万葉集から引用したそうですが、詳細は割愛します。
話はそれますが天皇と言うと、やはり徳島県民に親しみが湧くのが土御門上皇です。
彼は後鳥羽上皇の皇太子だったのですが、父親が起こした承久の乱は
「今はその時期ではない」
と父親を戒めて、その責任を自分も取って土佐へ流されたのでした。
しかし、彼に責任はないと考えた鎌倉幕府は、都に近い阿波に御所を移したのでした。
吉野川中流域の阿波市土成町に「御所」の地名が残っています。
そして、いくら田舎は暇だからと言っても、何と十男九女の皇子をもうけ、また日蓮宗開祖の日蓮は、彼の落とし胤だそうです。
阿波で崩御された火葬塚と、道しるべから10キロのところに立派な阿波神社があります。
そして、今上天皇は土御門上皇の血筋を引いているのも驚きです。
今日は誰か地元の人が改元の報告に神社へ行ったに違いありません。
私たち国民の象徴として、天皇陛下の存在のある日本人に生まれて、本当に良かったと思います。
数字を羅列するだけの西暦ではなく、元号の存在を嬉しく思うし、何処かの国のように国民の象徴を馬鹿な大統領に任せることもありません。
あとは、自然災害や大事故が令和の時代に起きないように祈るだけです。
新元号の予想を見ても、幸せを望んでいる人が多いことに驚きました。
令和は国民全員に親しまれ、ハッピーな時代になるように、私も阿波神社へ行き土御門上皇への報告を兼ねてお参りして来ようと思っています。