四国内では「四国新幹線早期実現を」と書かれたポスターや幟をよく見かけます。
「四国新幹線」の話や構想は、もう何度もブログに書きました。
そしてその都度私は思うのですが、「本当に四国新幹線は必要なのだろうか?」と。
北海道新幹線が良い見本です。
青函トンネルは元々新幹線用に建設されたものですが、乗車券だけで利用できる快速「海峡」の方が廉価で便利だったと思っている人も多いはず。
現在は、青函トンネルで北海道へ渡るのなら、新幹線を使うしか手段が無くなりました。
そして、「18きっぷ」で北海道へ渡るには別料金が必要になりました。
それと同じく、四国新幹線を建設するとしても岡山から松山しか考えられません。
瀬戸大橋線も新幹線と貨物列車併用になるのです。
また、高松、高知、徳島の人々は四国を出ようと思うと、多度津駅か坂出駅から新幹線を利用するしか方法は無くなります。
宇高航路も来月廃止になります。
まして、徳島の人は関西から東へ行く場合は、南海フェリーか高速バスを使うため瀬戸大橋は必要ありません。
昭和30年に、修学旅行生を乗せた国鉄の宇高連絡船紫雲丸が沈没して、多くの犠牲者を出しました。
道の駅「瀬戸大橋記念公園」には瀬戸大橋に対する人々の想いや、工事の様子が展示されています。
それは、島国四国の人々が安全に本州に渡りたいという切実な願いがありました。
昔、NHKの「プロジェクトx」で紹介された瀬戸大橋建設では、丸亀出身の現場監督、故杉田秀夫氏が自ら瀬戸内海に潜って現場を確認し、そして工事中に奥さんが癌で亡くなったにも関わらず、それを誰にも話すことなく工事を優先させたことを知り、私はその熱い心に打たれました。
そして大学は高松だったので、瀬戸大橋の進捗状況を時々見に出掛けました。
高校の時は教科書よりも時刻表を開いてる時間の方が長く、瀬戸大橋の工事を見るために高松の大学を自ずと志望したと言っても過言ではありません。
バイトで「発破作業、日給数千円」なんてのもあり、授業をサボって出かける友人もいました。
田舎の大学の訳の分からない授業よりも、瀬戸大橋というビッグプロジェクトの手伝いをしたことで、逞しく人生を生きることが出来たと思います。
瀬戸大橋は新幹線も走れる設計になっていますが、杉田氏は「四国へ渡るために船に乗る必要がなくなる」ことを学生時代から夢に見ていたに違いありません。
そしてもし杉田氏以外の、瀬戸大橋には何ら思い入れのない建設会社の現場監督だったら、工事はもっと時間がかかり、竣工は何年も遅くなっていたかもしれません。
また、与島と坂出「番の州」の間は距離が離れています。
しかし、そのちょうど中間に
「ここにケーソン(橋脚の台座)を設置すると良いよ」
とばかりに三ツ子島がありました。
まるで橋をかけるためにある小さな島というか岩礁で、そこに島が無ければ瀬戸大橋は作れなかったのです。
昭和54年、その三ツ子島が爆破された後に、授業をサボって見晴らしの良い五色台へ見に行きました。
そして、私は感動してもう少しで泣きそうでした。
三ツ子島は今では巨大なケーソンを支え続け、姿は当時と全く変わってしまいましたが、
「紫雲丸の犠牲者の霊が、三ツ子島に生まれ変わったに違いない」
と私は信じています。
上り列車で北備讃瀬戸大橋を渡り終えた足の下には、巨大なケーソンに押しつぶされた三ツ子島が海面からチラリと見えます。
その都度、私は心の中で三ツ子島の偉大な貢献に感謝するのです。
義父からいただいた昭和32年に発行された「鉄道連絡船」は、当時の国鉄連絡船を分析した貴重な一冊です。
そこには、瀬戸大橋や四国新幹線のことには触れていませんが、安全に瀬戸内海を渡りたいと願う人々の気持ちには変わりありません。
新幹線で早く渡りたいという邪な気持ちは微塵もないのです。
岡山駅で、快速「マリンライナー」へ乗り換える時、満員で1本遅らせることも時々あります。
大きなスーツケースを持った外国人もよく見かけるので、
「日本の電車はなんと混雑しているのか」と思っているはずです。
四国連絡の快速列車が通勤通学を兼ねていること自体、不思議な話です。
JRが西日本と四国に分かれているから、そのような問題が発生するのです。
旅客の立場で考えるのなら国鉄は民営化だけで十分で、分割するとしても四国は西日本に含まれるべきだったと思っています。
ただ結果的に、その方が良かったかどうかは難しい問題ですが。
そうすれば、夜行列車もサンライズを残して全廃することはなかったと思います。
ブルートレインのファンも多かったので、少なくとも「富士」「さくら」「北陸」「北斗星」くらいは臨時運転でも残すべきでした。
JR西日本の瀬戸大橋線の運転区間は児島までですが、通勤通学専用列車は児島止まりにするダイヤが必要です。
そして瀬戸大橋を渡る四国連絡特急、快速「マリンライナー」や普通列車は、児島まではノンストップにして児島は運転停車にすればより快適になります。
そして、四国連絡特急と「マリンライナー」を山陽新幹線のダイヤに接続して貰えば、四国内に新幹線を建設するのと同じくらい便利になるのです。
岡山から松山までは214キロあるので、「しおかぜ」で約2時間30分、もし新幹線なら1時間です。
しかし岡山駅での接続が悪く、乗り換えに1時間を要すると新幹線でも2時間必要で、今と変わりません。
それは屁理屈かもしれませんが、2時間余りの旅を楽しむ心さえ失くしてしまったセッカチな日本人には絶望しています。
そして、のぞみにダイヤを接続すること自体、それほど難しい事だとは思いません。
新型車両も次々と導入しているJR四国には、来年3月のダイヤ改正で「43年10月」(ヨンサントオ)と同じような白紙改正を期待しています。
