先日、立派な角が生えた巨体の牛様に、宿16年目にして初めてお泊りいただきました。
と言っても、布団で寝たわけではなく外の車の中で、本州から四国へ移動する途中にご利用いただいたのでした。
牛や豚が移送されているのも、道しるべ付近では時々見かけます。
寂しそうな目をしているので、自分の将来がないことを察知しているのかもしれません。
そして彼も同じような寂しい目をして、私をじっと見つめていたので、複雑な心境でした。
人間が生きるために動物を殺して食べる、それは仕方のないことですが、そんな寂しい気持ちになりながら
「今日の焼肉は美味いなあ、とか
すき焼きはいつ食べても最高だねぇ」
なんて話している人間の何と多いことか。
焼肉もすき焼きも、そして私の好物牛丼も、牛がいなくては話になりません。
スーパーに行けば、豚肉、牛肉、鶏肉そして魚までも綺麗に切り身にして、包装された清潔なパックで売られています。
ある人が子供と海が見える海岸に行き、
「魚はこの広くて大きな海にいるんだよ」
と言うと、
「違うよ、魚屋さんにいるんだよ」
と言った子供がいたそうです。
間違いではありません。
そして、移動中や夜は牛は立ったまま眠るそうです。
何という身体能力でしょう。
人間も立ったまま眠ることができれば、隠れた才能を発揮するのかもしれません。
思い起こせば、都会の通勤電車は吊り皮を持たなくても倒れないし、立ったまま寝ているサラリーマンも沢山いました。
彼らの持つ素晴らしい動物の本能だと思います。
ところで、あの寂しそうな目をした牛は、天国へと旅立ったのでしょうか?
可哀想だと思いますが、「弱肉強食」が「焼肉定食」になることに感謝したいと思います。
生牛も見たことだし、明日は久しぶりに牛丼でも食べに行くとするか。