45年のポツダム宣言を受け、重光外相が戦艦ミズーリ艦上で無条件降伏にサインしました。
そして翌年、昭和天皇は「巡幸」に出発しました。
戦争で焼け野原になった国土を巡り、日本国民を復興のため勇気付けるのが目的でした。
その時の詳しい記録を読みたいと昔から思っていたのですが、その本がやっと手に入りました。
県立図書館で借りてもよかったのですが、買ってゆっくり読みたかったので。
昭和天皇は、パイプを咥えたマッカーサーと戦争責任について話した時、
「私はどのような刑でも受けるので、日本国民をどうか助けて欲しい」
と懇願したのでした。
そして、数多くの日本の国宝をアメリカに提供する代わりに食料救済を依頼しました。
過去の戦争において敗戦国の指導者は、巡幸どころか命乞いをするだけでした。
陛下の責任を感じての実直な態度に、マッカーサーは深く感銘を受けて対談は何度も行なったそうです。
そして陛下の巡幸は、川崎の工場群を皮切りに行く先々で大歓迎を受けます。
地元の人が興奮するあまり、陛下の乗ったリムジンを神輿のように担ごうとしました。
また九州の孤児園では、両手に両親の位牌を持った幼稚園児が、陛下に対して
「立派な日本国民になります」
と挨拶しました。
それを聞いた陛下は「有難う」と応えて涙を流したそうです。
また、原子爆弾で壊滅的な被害を受けた広島でも「天皇陛下万歳」の大歓迎を受けました。
アメリカから訪れた新聞記者は、原子爆弾で広島市民は家族が死んだり、大きな被害を受けたにも関わらず、
「涙を流して奉迎する素晴らしい国民に美しい姿を見た」
と本国に打電しました。
そして四国では、高知から室戸岬を回って県南から徳島県入りして、日和佐では水産試験場と日和佐保育所を訪れました。
その時の話を祖父母から聞いたことがありますが、教職員をしていた当時37歳の祖父は、並んでお迎えしたかもしれません。
そして悪路を車で走り続けた陛下はお疲れの様子で、その日は鳴門の水野旅館に泊まりましたが、発熱のため予定を1日延期したそうです。
次の日は「お召し船」で淡路島へ渡りました。
EF58が牽引する「お召し列車」は聞いたことがありますが、日の丸を付けた「お召し船」は一度見たかったです。
船の中では座ることなく、立って鳴門海峡を眺めていたそうです。
そして、北海道から鹿児島まで、沖縄を除く全県を訪れました。
沖縄は一旦接収されますが、沖縄全県民は日本への復帰を希望したので、72年に日本に返還されました。
昭和天皇は、崩御された前年に「もうダメか」と言われたそうです。
命のことかと思った従医でしたが、その真意は「沖縄へはもう行けないか」だったそうで、40数年もの間沖縄のことを思い続けていたことに驚かれたそうです。
私は沖縄の平和資料館を訪れた時、当時の県民のアンケートを読みましたが、そのほとんどの人が、
「苦難の戦争を乗り越えても、日本人なので本土への復帰を望んでいる」
復帰を望んでいない人も多いのではないか、と考えていた私は、少し驚きました。
ただやはり昭和天皇の巡幸を沖縄が受け入れなかったことは残念ですが、天皇の身の安全を考えれば仕方なかったのでしょう。
その後上皇は、半世紀を経た93年に天皇として初めて沖縄を訪れました。
「ひめゆりの塔」を訪れた上皇は、国のために断崖から飛び降りた少女のことをどう思ったでしょうか?
44年に首都の東京が空襲を受けた時点で、敗戦は決定的でした。
天皇陛下があと1年降伏するのが早ければ、どれほど多くの日本人の命が救われたかと思うと、残念です。
そうすれば、神風特攻隊も、サイパン、硫黄島玉砕、沖縄決戦、本土空襲、広島と長崎への原子爆弾投下もありませんでした。
しかし巡幸記を読むと、水面下で戦争が勝手に進んでしまい、陛下にはどうすることも出来なかったのではないかと思っています。
その証拠に、巡幸の間で何度か涙ぐまれたそうで、自分が戦争を止められなかったこと、また降伏しなかったことを後悔したのかもしれません。
確かにその時代に戦争を終わらせることができたのは、昭和天皇しかいませんでした。
そして終戦と共に天皇は、神様から人間に変わりました。
実に数奇な人生を送られた昭和天皇でした。
この本を読んで、当時の状況が今の北朝鮮と同じであることに気が付きました。
アメリカは当時、北朝鮮と同じように日本を見ていたのかと思うと、それは奇妙な感じがします。
しかし、現代でも多くの国が軍事費を大幅に増やしたり、また空母を建造する国もあるのです。
アメリカは戦勝国なのに、日本に対して異例の10兆円の救済をしてくれました。
戦争の直前に日本から何度も交渉を持ちかけたにも関わらず、それをことごとく無視したアメリカに痺れを切らして奇襲攻撃を行ったのが真珠湾攻撃でした。
真面目な日本人に仕掛けられた悪夢のような戦争だった、と私は思っています。
また、資源の乏しい日本なのに大和や武蔵の戦艦、そして赤城や飛龍の航空母艦と素晴らしい性能の零戦を建造して、4年間もの間よく戦い続けたと思います。
そして、普通は敗戦国が戦費などを保障します。
しかし日本が立ち直ったのは、国民の頑張りもありますが、アメリカに資金提供を交渉してくれた昭和天皇のおかげだと思っています。
また、巡幸がなければ、国民が立ち直ったかどうかは不明です。
そして、昭和天皇が敗戦と同時にどこかの国に逃げてしまったら、日本は分割統治されていたか、消滅したと思います。
今頃四国では、英語かフランス語、はたまた中国語かロシア語を話していたかもしれません。
日本を見捨てなかったアメリカには感謝したいと思いますが、今回巡幸の本を読んで戦争は人間の悲しい過去の過ちなので、二度と起こすべきではないと強く感じました。
