数年ぶりに感動する書道の作品を見ました。
それを見た途端、私の耳が本因坊秀策が打った時に相手の耳が赤くなるような「耳赤の一字」でした。
感動する作品は、実際にこの世に存在します。
それが絵画だったり、盆栽だったり、楽器の演奏だったりしますが、書道の場合も勿論あります。
それは、「大器晩成」の「成」の一字で、準六段の中学生Sさんが書きました。
書道の理屈を言えば、半紙に書いた作品は二次元ですが、そこから三次元の世界が見えてくるのです。
同じ縦線や横線でも太い部分と細い部分があり、反る線や伏せる線など二つとして同じ線はありません。
漢字には、どの字も全て必ず特徴ある個性的な線が存在します。
その線を如何に上手に個性的に書くか、自分なりに「字の癖」を出しつつも一つの作品に仕上げるかによって評価が異なります。
その難しい作品の中で、事前に「成」の4画目を長く魅力的な線にするように指導しました。
特にお手本を書いたわけではないのですが、Sさんは上達が目覚ましく、雨の日も風の日も休むことなく、毎回黙々と書きに来ます。
一つだけ私が指導すれば、必ずその字で満足せずに何度も書き直して練習しています。
昔、Sさんの性格を見た私は、学校でも勉強の成績が優秀なことを知りました。
書道には性格の几帳面さと負けじ魂が必要です。
昔は思うように書けなくて、涙を流しながら書いている生徒もいました。
頭に思い浮かべる線が、実際に書けないから悔しいのです。
ふと思いましたが、平安時代や鎌倉時代の刀鍛冶も、なかなか出来なくて泣きながら作った名刀があるに違いありません。
それは勉強も同じで、わからないことを放置することは自分自身で許せないのです。
私は自らを平気で許せる甘い性格だったので、一流大学に進学することは出来なかったことを今更ながらに後悔しています。
そんな中、この4画目のすらりと伸びた線は、名刀に例えるのなら、足利尊氏の愛刀「骨喰藤四郎」のような鋭さのある線なのです。
「骨喰藤四郎」を京都で初めて見た時の、痺れるような襲撃を思い出してしまいました。
人は本当に美味しいものを食べた時や感動に出会うと、最初は笑いますが、その後には泣き出すと思っています。
書道も同じで、その時は感動のあまり私は泣きそうになりました。
私のお習字教室には、過去40年間の生徒さんが書いた名作を壁いっぱいに貼ってあります。
それは、名刀に囲まれた秀吉の気持ちになるみたいに。
「童子切安綱」や「義元左文字」、「大般若長光」を並べた秀吉がニタニタしている姿を想像してしまいます。
その雰囲気が大事で、その教室は現実では体験出来ない、異次元の部屋なのです。
「重箱の隅をつつく」ようなことを言えば、作品としては直す箇所は他にもありますが、この「成」の魅力にすっかり取り憑かれてしまいました。
Sさんの天下取りと六段は近いと確信した作品でした。
