10年くらい前、大晦日に泊まったお客さんの朝食が無く、初日の出を「あすたむらんど」まで見に行ったことがありました。
この商売を始めて以来、初日の出を気合を入れて見たことは無かったので、感動しました。
例年なら朝食の準備をして、それが終わると風呂掃除などに取り掛かるので、その時にはいつの間にか太陽は昇っています。
まあそれでも「初日の出」ですが、今年一年休むことなく日の出は拝めるわけです。
それよりも元気に生きてる人なら、胃腸が健康な「初屁の出」を祝うべきです。
特に正月は沢山のご馳走を食べるし酒も飲むので、それらの全てを文句を言わずに消化してくれる胃腸には感謝と敬意を表するべきです。
因みに私は食べ放題とかに行った時には「キャベジン」を飲んで、反省すると共に胃腸を助けるようにしています。
まあ「初日の出」は心配しなくても顔を出すので、地球が誕生した時から続いていますが、「初屁の出」が止まるとそれは一大事です。
腸捻転が起きるとそれは苦しいそうなので、命の危機です。
私もこの歳になると、病院で薬を貰って飲んでいますが、本来なら薬は飲まない生活がベストです。
頭が痛いと「頭痛薬」、胃腸が弱いと「整腸薬」、血圧が高いと「降圧剤」と様々な薬が出回っているので、胃袋もそれが何の薬か判断するのも大変です。
正月は目出度いからと、ご馳走を食べる風習も変ですが、たとえ人類が滅亡しても太陽は何も無かったかのように昇り続けると思います。
それこそ本当の「屁理屈」ですが、健康で生きていることの幸せを噛み締めて、悔いのないように生きることは人として大事です。
「屁理屈」のついでに今年の目標を一つ。
私の周囲の人の考えや出来事を変えられないことは、当たり前ですが不可能です。
それなら自分を変えれば良いので、実に簡単です。
「他人のすることには関与しない」主義を通してきた私は、それは卑怯だったかもしれません。
昨年、「探偵ナイトスクープ」で見た盲目の綾夏さんが「いかりや長介」さんに恋をした話を見て、考えが変わりました。
困っている人が目の前にいると、その人の手助けをすればどれほど嬉しいだろう、自分が逆の立場ならどう思うか、そればかり考えていました。
そして綾夏さんの純粋無垢さにも感動しました。
東京の地下鉄のホームに人が倒れていても、多くの人はその人を避けて先を急ぎます。
そんな悲しい街には、酷く衝撃を受けたことがありました。
周囲の人を気にすることなく、
「自分さえ良ければそれで良い」
その考えは理解出来ません。
ニュースでは、年末年始の自殺の報道が途絶えることがありません。
最近は自殺を考えている人に、思い留まるように説得するのは無理だと考え始めました。
しかし、断崖から飛び込むのならともかく、電車に飛び込んで沢山の人に死んでからも迷惑を掛けるのはそれはあまりにも卑怯です。
自分が一生懸命に生きることは当たり前ですが、自分の周囲に目を向けて困っている人を助けることは、それはかなり困難です。
なかなか出来ることではありません。
今年の目標は、他人に迷惑を掛けないことは当たり前ですが、
「宿がお遍路さんの『道しるべ』になり、感謝して生きること」
です。
「100人に嫌われても、一人に理解して貰えればやり続ける」
と話した、ビートルズのポールマッカートニーの心境です。
私の「初屁理屈の出」でした。