「山軽駅」と聞いて、平成元年5月に廃線となった天北線の小さな駅を覚えている人は少ないと思います。
図書館で「廃村旅」を眺めていると、その「山軽」集落が掲載されていました。
借りた本は、全国の50ヶ所の廃村を紹介していますが、今後廃村や限界集落が急増することは目に見えています。
「山軽駅」は、稚内から約67.7キロ天北線の列車で走った地にありました。
かつては伐採した木材の運搬で賑わったものの、貨物の取り扱いが廃止されて無人駅となった昭和44年からは、人も去って寂しくなったそうです。
私が訪れたのは昭和54年が初めてですが、その頃には民家なども少なく、車窓から見る風景は廃れた印象が残っているだけでした。
廃村とは、行政区画の村が廃止になったのではなくて、人が住まなくなった限界集落のことです。
猿払村と浜頓別町は自然に恵まれたクッチャロ湖の美しい町です。
猿払村は全国屈指のホタテの養殖が盛んな村で、バイクで訪れた時には貝殻が山のように高く積まれている様子が印象に残っています。
対向する自衛隊のバイク集団がピースサインをしてくれたので、親しく感じました。
また浜頓別ユースホステルは、クッチャロ湖近くにあった赤いサイロのお洒落な建物で、夕食は洋食だった記憶があります。
私がナイフとフォークで食べていると、隣の女性が
「上手ですね」
と褒めてくれたので、そんな事だけは覚えています。
また以前、猿払村でインディギルガ号が座礁して多くのロシア人が亡くなった話をしましたが、その時に地元の方が救助活動を行った温かな対応は、忘れることが出来ません。
また、釧網線の野村川湯ユースホステルでのペアレントさんの温かい対応は、現在の私の仕事に引き継がれています。
とにかく北海道の皆さんは、今思い出しても泣けるくらいにとても親切なのでした。
そんなこんなで、天北線の話を始めると一冊の本が書けるくらいありそうなので割愛しますが、コロナ禍が収束して宿の仕事を終えれば、車で天北線の駅巡りに訪れたいと本気で考えています。
国鉄の一つの路線の歴史の中で、折角建設した鉄道路線が仕方なく廃止になった町の悲しさ、そして私がその時代に生きられたこと、またその地に立ったことに感謝したいと思います。
私の心の中では、天北線は永遠に走り続けています。
