その日から車の右側通行が左に変わりました。
太平洋戦争で地上戦になった悲劇の沖縄が、本土復帰から50年を迎えました。
そして玉城知事は式典で、
「沖縄を平和の島にする約束が果たされていない」
と述べました。
沖縄で地上戦が行われ、多くの住民が巻き添えになったり自決をしたことは、許されることではありません。
平和祈念公園で私は
「米軍が駐留している以上は戦争は終わっていません」
と、高校生の作文が深く心に刻まれています。
美味しいステーキを食べ、南国の明るく温暖な太陽の下で、人々が平和に暮らしている沖縄の様子を想像していた私は、県民が戦争はまだ続いていると考えていることにショックを受けました。
それは沖縄観光のイメージとしてはあまりにも暗く、そこには戦争が大きく影響しています。
政府方針による基地の移転問題で揺れた沖縄ですが、A大臣がしわがれた声で
「基地の移転を認めるのなら、鉄道を敷くんですがねぇ」
と逆撫でするような発言も許せません。
ただ私は、沖縄の平和こそは鉄道の敷設にあると思います。
戦前には、県営鉄道の那覇から嘉手納線と糸満線が走っていましたが、戦争と共に廃止にされたまま復活していません。
近年は「ゆいレール」が那覇市内を中心に走っていますが、南北で約100キロある沖縄本島を結ぶ鉄道は必要だと考えています。
全国的に田舎の県の発展は、鉄道に頼るところが大きいと思います。
徳島県内でも高徳線以外廃止になってしまうと、私鉄が無いため頼るのはバスしかありません。
1時間に1本あればともかく、午前1本、午後1本ならどこへも行けず、それは不便です。
昔のゲームソフト「A列車で行こう」は、私のお気に入りのゲームです。
もう何年もしていませんが、持っているだけで満足しています。
大平原や山岳地帯でも、鉄道の線路を敷設することで町が建設されます。
そしてビルが立ち、民家が立ち、そこにもっと人が集まるように集客施設を次々と建設するゲームです。
敷設した線路には好みの列車を走らせたり、道路にはバス停を作ってバスを走らせたり、それは飽きることはありません。
そして大都会に発展すれば地下鉄を走らせたり、新幹線やリニアも走ります。
沖縄はそのゲームの開拓していないマップの状態です。
そこに国の主導で鉄道を建設し、街を発展させましょう。
地元の県民や観光客が大勢訪れれば、赤字になることはないでしょう。
しかも台湾や中国、東南アジアや世界中から観光客が訪れる島です。
それが私の妄想になるかもしれませんが、国は戦争の責任を認めて、沖縄を発展させる使命があると思います。
50年も経った今、米軍基地をどこに移転するかで揉めてる場合ではないと思うのは、私だけではないはずです。
太平洋戦争は終わりました。
半世紀が経ち、沖縄の戦争も直ちに終えるべきです。