もはやこれは殺人事件です。
池袋暴走事故遺族の松永さんのご主人が会見に臨み、
「寿命が尽きるまで一緒にいると信じていたのに、一瞬で未来が奪われた」
と涙ながらに語りました。
もしも私が彼の立場なら、会見などする気にもならないし、そんな意欲も勇気もないと思います。
何もしないで、ただ毎日をボーッと過ごすのが精一杯で、家族の元へ行こうと自殺も考えるかもしれません。
そして、こんな可哀想な会見を見たのは初めてです。
もう二度と同じ過ちを繰り返して欲しくない決意が、強い言葉の裏には滲んでいました。
そして私は思いました。
会見をするのなら、犯人の飯塚だろう、と。
マスコミが会見を開いて、死ぬほど飯塚を吊し上げればいいんです。
どうせ、このあと裁判をして刑務所で死ぬのを待つだけなのだから、死んでも構いません。
飯塚の甘い考えをマスコミと国民は、追求する義務があります。
そして家族がそんな危険な人間に運転させた責任も追求するべきです。
飲酒運転が同罪になるように、助手席の人間は高齢化している爺さんの運転は辞めさせなければなりません。
交通事故は結果が全てであり、ブレーキが効かなかったとかの言い訳は通用しません。
そのため、奥さんも家族も同罪です。
そして、日本の裁判は罪を犯した人を罰するだけで、再発防止策などは何ら考えていません。
人を罰するだけなら「目には目を」のハムラビ法典で十分です。
法治国家の真意は、同じ犯罪が起きて悲しむ人が出ないようにすることにあります。
今の状況なら、高齢者の事故は増えるばかりで、無くなることはありません。
日本の司法は実にレベルが低く、発展途上国程度の幼稚な制度だと思います。
しかも飯塚はクボタの副社長を務めた人間で、人の模範として社会的に率先すべき人物です。
国民の多くは、こんな人間でもクボタの副社長が務まるんだ、と思ったはずです。
交通事故で亡くなる方は、かなり減ったものの、年間4千人もいるそうです。
無念にも交通事故で亡くなった方の慰霊と再発防止のために、今回の事故が起きた4月19日を毎年「交通事故死者慰霊の日」にしませんか?
過去のこととして忘れてしまわないために、我々にできることはそれくらいしかありません。
お二人のご冥福をお祈りいたします。