先日テレビを見ていたら、「韃靼海峡」という演歌が流れていました。
聞いたことはあるけれど、どこだったかなと調べてみると、樺太とロシアの間にある間宮海峡の中国語(解釈)であることがわかりました。
ちなみにロシア語の「タタール海峡」は、日本でも定着しています。
1808年に樺太が島であることを確認した松田伝十郎と間宮林蔵は、北海道で越冬するなどかなり苦労したみたいですが、それを評価したシーボルトにより、「間宮の瀬戸」と名付けられました。
日本海とオホーツク海の境界である間宮海峡ですが、冬の間は凍結して、海峡を歩いて渡れるそうです。
かつて樺太には豊原とか真岡など日本の地名がつけられた町があり、当然沢山の日本人が住んでいたわけですが、太平洋戦争の終戦時にはソ連軍の侵攻に遭い、悲劇の島となりました。
私は、究極の旅先として北方領土に行ってみたいと思っています。
もしも北方領土が日本の国土であれば、間違いなく学生時代には旅をしていたことでしょう。
また、かつて沢山の日本人が住み、鉄道を敷設して町を形成していた樺太にも行ってみたいと思います。
ただ、単なる興味本位ではなく、そこがかつて日本であったにもかかわらず、間違った戦争によって大切な国土を失ってしまったこと、沢山の日本人の血が流れた事実を深く考えてみたいと思います。
出来るだけ早い時期に実現させたいものですが。
さて、18日の旅人クイズの答えですが、明石の魚棚(うおんたな)商店街でした。
ここは、明石焼きやたこ飯、イイダコの天ぷらなど海産物のお店が沢山あり、活気がありとても楽しい商店街です。