クリント・イーストウッド監督・出演、ケビン・コスナー主演のパーフェクト・ワールド。
あらすじ
脱獄囚ブッチ(ケビン・コスナー)は人質として、少年フィリップ(T・J・ローサー)を誘拐して逃走する。はじめは怯えていたフィリップも徐々にブッチに心を開き始め、二人には男同士の友情のような、親子のような交流が生まれ始める。
そして、同時にそれを追いかける警察のレッド署長(クリント・イーストウッド)。彼はかつてブッチを更生させるため判事に手をまわし、それが結果的に功をなしていなかったことを心にひっかけており、なんとか彼を捕まえようとする。
この映画は脱獄囚と誘拐された少年の交流のヒューマンドラマとして観るだけでも非常に面白いつくりになっている。まず、ケビン・コスナーが最高にカッコ良い。極悪人のように見られながら、非常にクレバーで"粋"な中年だ。
物語の序盤で一緒に脱獄した"いけすかない"テリーについて、「あいつを置き去りにしたい?」という少年の問いに対して「もちろんだよ(Oh, Yeah.)」とニヒルに返すシーンなんて最高にカッコ良くて笑ってしまう。
クリント・イーストウッドの映画は意外にもセリフのやり取りにユーモアが満ちている。例えば車をパクるシーンで少年が立ちションをしているせいで危なくなるシーンがある。そのときにブッチが少年に怒るシーンのセリフは「まったく、何本コーラを飲んだんだよ!」である。(道中で二人がコーラを飲んでるシーンが度々出てくる)
また、立ち寄った服屋の店員の女性に「君の笑顔は最高だ」とお会計を胸元にひねりこむシーンをはさんだと思えば、その後に正体がバレてポリスにカーチェイスされるシーンでは、その女性店員に「笑顔はどうした?」といって店の窓ガラスに38口径をぶち込むのだ。たまらなく"粋"なシーンの連続が映画を盛り上げる。子役のT・J・ローサーの演技のひとつひとつもその場で求められている演技を察したかのような完璧で本当にかわいらしいものなのだ。
さて、「パーフェクト・ワールド」とは何か?このことをこの場で書くことは"粋"じゃない。ただ、ひとつ書けばこの映画の登場人物はそれぞれが「満たされていない」。ブッチは母親が売春婦で、親父の愛に飢えていた。今でも子供に愛を与えない親を憎む。フィリップは母親を愛しながらも寂しさや、厳格な宗教を信仰する家庭により普通の子どもが楽しむ当たり前のことが出来なかったりする。レッドはブッチを更生できなかった自分の怨念をはらすかのように彼を捕まえようとする。事件を解決させることではなく、彼を更正させるために。そう、彼を殺して事件を解決することは彼にとっては無意味なのだ。
この部分がこの映画をただのヒューマンドラマではなく、良質の映画にしている。ブッチがフィリップの「やりたいこと」をやらせようとしているのはフィリップのためだけではなく、自分のためでもあるのだ。レッドがブッチを捕まえようとするのはフィリップや彼の母のためだけではなく、自分のためでもあるのだ。
物事には真実とは存在しなく、自分のなかの認識があるだけ。「完璧な世界」を満たされない三人が同時に追い求めながら、同時に皮肉な「ズレ」が発生していることがそれを表現しているように思える。
クライマックスのシーンでフィリップがブッチを抱きしめるシーンが出てくる。それを見て俺はヴィンセント・ギャロの『バッファロー66』を思い出してしまった。ギャロがクリスティーナ・リッチ(偶然にもキャスパーの子役!)に抱きしめられるシーンだ。両作品のテーマはまったく違うが、ともに主人公は「満たされない」のだ。
満たされるかたちはそれぞれ違う。満たされているときには気づかないかもしれないし、また、手に入れることの出来ない満たされであるかもしれない。ブッチとフィリップの交流は愛おしく、微笑ましく、素晴らしいと感じつつも、そのことの哀切とやり切れなさが私たちの胸を打つ。そんな映画だった。
A Perfect World Trailer

4