ちょっと古い話になってしまうので書くのも気が引けるが、日曜のことから。
高松宮記念は、ラインクラフトをムリに消しすぎたかもしれない。普通なら1番人気になるべき馬が、参戦過程の不安から評価を落としているなら、むしろオイシイ馬といえたのかも。特にG1では、世評とは逆逆をいくのが正解になることが、ここ数年やたら多い。盲信されている馬が飛び、不安視、無視されている馬が激走するというのが、特におなじみのパターンとなっているのに・・・。オレハマッテルゼの単複か、シーイズとのワイドは少しは押さえておくべきだった。対抗以下は前日大きく変更したもので、シーイズを拾えたのはよかったのだが・・・。決断したあとでもう一度、「これでいいか」自答することが大事である。なおオレハマッテルゼをここに使うように進言したのは柴田善臣だそうだ。
それにしても、今の短距離戦線は層が薄い。短距離重賞濫造の年にこれというのは、皮肉なものである。そもそも、先々週のグリーンチャンネルの中継内で、突然高松宮の予想を求められた(前もって知らされておらず、時間が空いたからということで本番中にいきなり来たのである)時に初めて登録を見たのだが、あまりのパッとしない顔ぶれに目を疑ってしまった。どの馬も負けそうで、勝てそうな馬がいないんだから・・・。
以前最強の法則にも書いたが、JRAが短距離重賞増設案の基準にした年と、現在とでは、短距離専用で使っているオープン馬の数が半減に近いくらい違うのである。短距離の層が厚かった時期に決めて、実施する頃には低調になっているという、後追いの失敗スパイラルに入っているように思う。私が以前籍を置いていた放送業界でも、バブル期に景気のいい企画をぶち上げて、実施する時にはハジケテいたために、当初の企画を実現するには金がなく、屋台骨をぐらつかせた(「倒産知らず」と言われた放送局が閉鎖された例も)という裏話は多いが、それと似たようなものだろう。
さてこの日曜日には、私が一部構成と出演をしているベイFMのJRA提供番組の、リスナー競馬教室の日だった。競馬場に来るのが初めて、馬券を買うのも初めてという人たちを対象に、毎回講師を務めている(年3回くらいある)のだが、やるたびに思うのは、「競馬をやってみたい人はたくさんいる」ということだ。お客さんたちによれば、やはり「競馬新聞を見るとあまりの細かさに敬遠してしまう」とか、「家が遠くてなかなか競馬場へ行く決心がつかない」とかいう声が多い。PATも、競馬に一歩入り込んだ人なら分かるが、それ以前の人には、そういうシステムがあることすら知られていないというのが現実だ。以前とは違い、今のお客さんは、基本的に受身である。そういう層を相手に、どんなプロモーションを展開するかが、大きなカギとなるかもしれない。
競馬には覚えるべきことが多くて難しいという声も、これは一般的によく聞くことである。この辺はもうひと昔、ふた昔前と違って、遊びで努力したくないという、言い換えれば努力してまで遊びたくないという、日本人の気質の変化なのかもしれない。麻雀が廃れていったのと同じ道を辿りつつあるような気もして、憂鬱になってしまうのだが。

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