後半は、ディープインパクトという存在について。
まず、ディープインパクトは、商品としては完全に失敗であった。出走レースのほとんどで、売り上げが前年比を下回ったのだから、これはもう失敗以外の何者でもない。もちろん、ディープインパクトが出ないレースだってほとんど売り上げは落ちているのだが、期待度やプッシュの仕方からすれば、明らかに期待はずれだったことは言うまでもない。
なぜそうなったかといえば、競馬ファンの平均年齢である50代以上の人たちにとっては、ディープが鼻白む存在であったということ。そしてディープインパクト人気を支えた層が、若年層だったということだ。現に、有馬記念の入場人員が11万人に留まった最大の原因は、ディープファン層の大部分が、ディープよりもイブを選んだということだと睨んでおり、これは前にも書いたジャパンC当日の来場者の会話からも、ほぼ間違いのないところだと思っている。しかも彼らが馬券を全く買わないのは、ジャパンC当日に痛感したことである。
で、若い層を取り込むことは競馬存続にとっては確かに大事なのだが、彼らがディープインパクトの何をもって魅力と感じたかということを考えると、彼らが本当に競馬に定着するのかどうか、かなり疑問である。「勝ち続けること、勝つことにしか価値観を見出せない人」は、競馬と付き合うことはできない。
私はハイセイコーもオグリキャップもリアルタイムで経験しているが、あの当時はそれぞれの馬のブームもさることながら、「競馬ブーム」が巻き起こっていたのである。それは当時のファンの懐の深さを物語るものだ。ハイセイコーやオグリキャップによって競馬を教えられた彼らは、ハイセイコーやオグリキャップの姿だけにではなくて、競馬自体にノックアウトされるだけの感受性があり、自ら進んで「自分の競馬観」を作るだけの知性があり、競馬と長い付き合いを続けるだけの精神的余裕もあったのである。
しかし、「飛べ!」と絶叫するために競馬場を訪れ、ディープインパクトの出るレースにしか足を運ばず、ディープ以外の馬の話はしないファンは、間違いなく競馬から離れる。そこに感じるのは、いかにディープインパクトが次元の高いレースを続けても、虚しさだけである。
この虚しさがどこから来るか。もう1つの大きな原因は、ディープインパクトが「競馬」をほとんどしなかったということだ。馬が競うのが競馬。しかし彼には好敵手が最後までいなかった。
これを、ディープインパクトがあまりにも強すぎたからだという人もいるが、それは全く当たっていないだろう。明らかに同世代が戦後最弱世代であることは、記録上からも明らかで、この世代はまるでディープ1頭に力を吸い取られてしまったかのようである。また1つ上の世代には故障馬が多く、1つ下の世代は無理使いで対決時にはもうお釣りなし。タイムマシンでもない限り、言っても仕方ない愚痴であるが、違う年に生まれていたら、ここまで勝っていたかどうか・・・・と思わせてしまうのも、彼が必死で戦う姿を見せていないからである。もちろん、これはディープインパクト自身や陣営には何の責任もないことなのだが。
責任といえば、他の騎手、調教師たちの「罪」はもっと大きい。アドマイヤジャパンを叱咤し、奇襲で泡を吹かせようとした横山、ハーツクライが完調ならディープと互角かそれ以上の馬であることを見抜いて、正攻法で攻めたルメール以外に、誰がディープインパクトを本気で負かそうと思ったのか?叶わないならせめて一太刀、それが競馬ではないのか?外から被せたり、徹底マークしたり、外へ張ったり、何とかして苦しめようという騎手が、全く見られなかった。それどころかみな戦う前から白旗を掲げるコメントを出す始末。そこには戦いがない。本来競馬とは戦いではなかったか?
しかしファンを敵に回すことが怖いのか、JRAに余計なことするなと睨まれるのが怖いのか、はたまた武豊に他のレースで仕返しされるのが怖いのか・・・。多くの人馬が、ディープインパクトに本気でに挑みかかりはしなかった(ように見える)。これが、何十年も競馬を見ている人間にとっては、なんとも彼のレースを認め難い気持ちにさせるのである。それらをハネ返して勝つ姿、そこから受ける感銘こそが、本当の競馬ファンの至福ではないだろうか。今の競馬ファンとまでは言わないが、ディープファンは、間違いなくそれを知らない。
競馬の魅力とは、こんなものではない。ディープインパクトの出ていたレースが、競馬の全てではない。
そして、競馬マスコミ、ファンにはびこるデイープファシズム。別にディープインパクトを礼賛すること自体はいい。問題は、少しでもマイナス要因につながることを発言したり書いたりすると、途端に白眼視することである。これはもう理解し難い精神構造であり、分析する気にもならない。ひとことで言えば、鈍感だということだろう。
とにかく、こんなことをいろいろ考えさせるという意味では、ディープインパクトとは間違いなく、近年にない破格の存在であった。ただ、ネガティヴな意味で・・・というのが淋しい限りである。
ディープインパクトという馬は、間違いなく史上屈指の名馬だった。しかしまた同時に、1つの踏み絵であった。厳密に言えば、ディープインパクトという現象なのだが、これを踏むか踏まないか、そこに、競馬ファンとしての・・・というか、競馬が自分にとって何なのかという価値観や、何十年競馬を見てきた人間のプライドが掛かっていたのではないだろうか。

27