布袋寅泰が町田康に暴行。
いやあ、微笑ましい・・・というか、オッチャンたちまだまだ現役なんですなあ。
どちらも仕事したことあるし、好きな人だから、少々驚きはしたけれど。
布袋氏は、一言で言うと「融通が利かない人」。というか、一本気の人ですよ。収録に遅刻してきたら、たとえ5分でも、マネージャーじゃなくて本人が、駆け出しディレクターだった私に深々と、あの長身を折って頭を下げる。東大寺のロックイベントのリハーサルで、ちょっとヨシキが我がままゴネると、ストレート一発でKOし黙らせる。その他武勇伝は数知れず。乱暴者というのではなくて、ブレーキなしで自分の納得できないことに食い下がっちゃうタイプ。
そうそう、私の担当日ではなかったが、朝のワイド番組で、オンエア中だった自分の曲が、途中からBG扱いになってナレーションを乗せられた所をたまたま聞いていた布袋氏は、自宅から直接局に電話をかけてきて、どういう意図で自分の曲をBG扱いにしたのかを問い質してきた、ということもあった。しかも、ボウイのメジャーイメージしかない人も多いだろうが、元オートモッド(分かる人は分かる・・かな)でもあり、結構アンダーグラウンド気質の強い人でもある。そのくせ、作る曲は小林旭の後継者とでもいうような正統派歌謡曲の職人パターン。
かたや町蔵といえば、パンクのトリックスターで、こちらもその理屈っぽさと気の荒さから、数々のバイオレンスな伝説を作ってきたカリスマ。芝浦インクのJAGATARAのライヴ帰りに、田町駅近くでチンピラパンクス相手に立ち回りをした直後の町蔵を目撃したこともあるし、長いブランクを経てソロ活動を開始させた時に、私が最初にインタビューするとなったときは、周りの人に「とにかく怒らせないように、怒ったら逃げるように」と心配されたものだった。実際は勝手な噂が一人歩きしていただけで、当の本人は(取り扱いさえ間違わなければ・・・というかいい加減なことさえ言わなければ)とてもフレンドリーな人ではあった。まあ高校生の頃から、私が大ファンだったので、「こいつはただのミーハーだ」と思われたのかもしれないが。
それから20年近く経っても、彼らが全く丸くなっていないのは、ファンの立場から言わせて貰えば、嬉しいといえば嬉しいのだ。
思えば、70年代末から80年代初頭のロックシーンを支えた人たちには、本当に妥協することを知らず、あっち側まで突き抜けてしまう人が多かった。その結果、多くのミュージシャンが自ら命を絶ったり、生活が荒れて致命的な病に倒れたり、薬に耽溺したりして死んでいる。その多さは異常なほどで、本当にあの一時代に集中しているのだ。それだけ作品も表現も切実で、当時のサブカルチャーの最先端は、紛れもなくロックだったと断言できる。
あの空気を知らない人にとっては、今回の事件は下らない週刊誌ネタのゴシップなのだろうが、私みたいな人間は、なんか当時の残り香を嗅いだような気になって、少しノスタルジーに浸ったりしてしまうのである。
さてさて告知です。
8月11日の土曜から、ラジオ日本の競馬中継の解説を務めることになりました。3回新潟については、土曜競馬実況中継第一部、つまり午後の前半。競馬ラボの枠ということで、古川幸弘さんと2時間お送りします。ラジオ日本の競馬中継と言えば、子供のときからあった番組の1つなので、感慨も一入。グリーンチャンネルとはまた違う面を聞かせられたら、と思う。

1