★ 今週は福島から駆け込みで予想TVとなる。安田記念でとりあえず出演枠に入る分にはクビが繋がったので、最低限の目標はすでに達成済み。部門タイトルは市丸さんの2冠で決まり、狙い目は市丸さんと小林さんの一騎討ちになりそうなので、特にタイトル狙いということもなく気楽な立場。ただ次なる目標として、どの部門も100%超えにはしておきたい。帰りの新幹線の中で全ての準備をしないといけないので慌しくなりそう。
それにしても市丸さんのタイムフィルターは、前にも書いたように人気薄を本命にした時は本当に怖い。安田記念の翌週のあおぎりSはクイックリープ本命での3連単的中だから恐れ入る。
★ ここ数週の予想家の浮き沈みを見てもわかるように、この番組は、実は出演回数の多い
ほうが有利なのだ。手駒の上げ下げができるので、その点が各打席均一となる野球の打率争いとは大きく異なる。だから得意なレースや自信のあるレースの時に出演していないと話にならないのだ。
出演回数が少なくて回収率が低いという場合はめぐり合わせや運が悪いのだが、回数を多く出ているのに回収率が低いのは、的中率が悪すぎるためで、基本が崩れている証拠。だからフォーム矯正にはうってつけでもある。
私の場合はずっと崩れていた訳で、安田記念一発で盛り返しただけなので、別にフォームが
治った確信があるわけでは決してない。
競馬関係はこれまで。
★ テレビではドラマの最終回告知の番宣出演が酷いことになっている。視聴率のためならお構いなしといったところか。番宣出演のバックに、「30%超えなるか!?」なんて文字を出しているのにはバカ負けした。
もともとは内部資料として始まった視聴率なのに、今や一般にも広まって認知されているが、本当にこれこそが放送内容を堕落させた根源である。視聴率自体に今やなんの意味もなく、また信頼できる数字でない事は過去の「事件」で知れ渡っているはずなのに、数字のために番組を作っている体制は一向に改まらない。
率が低くても良い番組はあるし、高くても酷い番組があるなんてことは誰でも分かっていること。局内や関係者だけがありがたがり、某国家のスローガンのようにガンガン調査結果を張り出して「国威発揚」に用いている現状を脱しないと、テレビからは何の文化も生まれず、番組の横並びと幼稚化の弊害ばかりがはびこることになる。
テレビではないが、先日の三谷監督の、映画宣伝のための出演数も異常であった。作品自体は見たことがないので何も言えないが、あそこまでいくと下品のひとこと。
逆に頼まれても見たくなくなるというのが正常な神経だと思うのだが。
★ 死に紙、朝日新聞。
★ 秋葉原の事件以降、社会的弱者と敗者を混同している意見が多い。弱者(という言葉を使うことの正当性はさておいて)は生まれながらに障害を背負っていたり、両親がいなかったりというような、不可抗力の境遇によってそうなるもので、これは社会がカバーしてあげないといけない。
対して「社会的敗者」などというものは存在しない。自分が敗者だと思えば敗者になってしまうし、思わなければそうではない。それだけのことだ。
★ 夢を持てとか、夢は叶うとかいう無責任な言葉にたぶらかされた結果、自分の境遇を必要以上に卑下してしまっているのが今の10代、20代なのかもしれない。極論してしまえば人間なんてもともと夢も希望もなく、自分に期待なんかするべきではないのである。ただ生きていること自体に価値がある。夢を実現できていないとか、友達がいないとか、そんなことで自分がダメな人間だと思わされてしまっているのは気の毒である。
★ とはいえ、敗者ではないにしろ、経済的、あるいは精神的に窮している人たち=「社会的窮者」も確実にいる。悪い連鎖をどこかで断ち切りたいと思うのもむべなるかな。それぞれの窮状や、打開策はケースバイケースだし、私だって自分のことで精一杯だからどうしたらいいかは正直分からんが、回りを変えるにはまず自分を変えるのが一番手っ取り早いと思う。それから、まずは選挙にいきましょうか(笑)。
しかし、小泉再登板に賛成する人が新聞の調査で60%、また先日見たテレビの生放送でのリサーチで75%!こんなにアホが多い現状には驚くばかり。別に自民が政権続けるかどうかよりも、小泉はダメでしょう。あいつの回したツケで、これだけ碌でもないことになっていることがまだ分からんかという感じ。中曽根、森、小泉、この3人が日本をダメにしたと断言していい。
あ、「CHANGE」って舞台型政治の張本人の飯島勲がアドバイザーに入っていたそうだ。
★ 諫早湾干拓事業における佐賀地裁の判決には快哉を叫びたい。なんでも国民を泣き寝入りさせちゃいかんですよ。

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