和田栄司さんのコラムによると、スミヨンはUAEダービーでの直線での進路の取り方が危険だったため、被害を受けたサブル騎手に掴みかかられたとのこと。
さて28日日曜。この日は馬券もサッパリ。参ったのは四国新聞杯でドリームライナーから勝負しながら、単勝しかとれず、2着ナムラブレットが抜けたこと。三河特別のスカイノダンーマッキーコバルトの本線を僅かの差で取り逃がしたこと。マチカネコロモガワが粘るとは・・・。
そして何より、予想TVの狙い目にもしていた中京サンクスPが、馬連しか取れなかったこと。なぜバンドゥロンシャンを見落としたのか・・・あおぎりSを見れば楽に押さえられるだろうが・・・。3連単11万は付きすぎ。参った・・・自分で自分にパンチ入れときました。どこかの大臣じゃないですが魔が差したとしか思えないミス。(魔が差したって10回やって魔が差したというのも凄い言い草だなあ。なぜ農水大臣ってハズレしか来ないのか?)
高松宮記念については、レースインプレッションを4月13日発売のサラブレに書いたので、詳しくは省略。砂撒きやらノド鳴りやらでどのみちプレミアムボックスはお呼びじゃなかった。本文ではとにかくIFの多いレースだったという感想をそのまま書いた。
馬券的には最後に中山12Rが的中して少しはマシになったが、収支は焼け石に水。
打ち上げでは教育論から「目に見えないもの」が今いかに大事かという話で盛り上がる。
月曜はかなりの暴風。1日ずれていたら開催が危なかった。マンションの敷地内の桜の老木が根こそぎ倒れてしまった。
伊達秀和氏の訃報。昭和の競馬がまた1つ遠くなった。氏が導入したソーダストリーム系は、不幸な最後を遂げた川上調教師(ミオソチスを愛でていた寺山修司のエッセイでしか知らないが)のエピソードによりどこか不運や寂寥感のまつわる牝系として印象にあるが、厩舎を引き継いだ高松三太調教師、そして弟子の柴田政人騎手の執念で、ブロケードやファンタストの栄光をもたらした。他厩舎ではあったが、子供の頃になじんでいた「土曜競馬の主役」トル―エクスプレスやパルスクなんて渋い脇役も懐かしいなあ・・・。あの頃の競馬は本当に毎週面白かった。
ミッキードリームの骨折判明。これで毎日杯組からの皐月賞参戦はリルダヴァルだけとなりそう。

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