『パッション』(The Passion of the Christ)
ご存知メルギブ2004年アメリカ映画監督作品
イエス・キリストが処刑されるまでの12時間を描く。 イエスが、神を冒涜しているという罪で、拷問を受け、十字架に掛けられるが、そこで彼の口にした言葉は、彼らへの赦しの言葉だった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
最近のDVDレンタル選択に迷いがあった
なんか今ひとつの出会いばかりで・・・
BSで「パトリオット」が放送されていて、あぁそうだよ メルギブを忘れていたじゃないか!「パッション」はその後どうなったのか?当時の報道はセンセーショナルに作品を取り上げていたし、メルギブが最後の晩餐を、ゴルゴタの丘を描く?などと感じていたものだ。
まさにメルギブ
イエスは繰り返し拷問と鞭打ちに処せられ、死の淵で重い十字架を背負わされる。
その描写はあまりにも克明で、残虐である。
つまり、メルギブの拘りのなかでの暴力描写と、イエスの、神の子であるという意識、残虐な肉体への暴力と、それらに耐える強い意思・・・静かなる情熱を描く
暴力を受けながらのマグダラのマリアのシーンなど回想する演出
ともするとイエスは情熱を見失いそうになる
神は、私を見放したのか・・・
刑罰を受けるイエスの母マリアの気持ちはいかばかりか
そのために過剰と感じられる残虐シーンの数々をしかもクリアな映像で盛り込んだのか?
鉄の釘で十字架に張り付けにされ死に至るイエス
瞬間カメラは俯瞰になり、ゴルゴタの丘に雷鳴と豪雨が襲う
私は見ているよ イエス
そう語りかけるような神の視線、涙という意味なのだろう
今までの暴力に耐えたイエスの死を見ながら、さすがにこのシーンでは感動が込み上げて来た。
ボクはクリスチャンで、子供のころからこの辺の話を詳しく読み、聞かされていたのだが、死して三日目に甦り・・・復活
その間、
いつメルギブが登場し、イエスを悪役にし鞭打ちの刑を施した組織に(ローマ帝国とはいいませんが)「PayBack」張りの復讐を開始するのか、とハラハラしたのも事実でした。笑
ポンショ・ピラト(提督)の妻がいい人だったというのは事実らしいですね。
キリスト教の現在まで続く脈々たる信仰
それを形作ったものは、暴力を耐え抜いたイエスの神への信仰心である、という以上、これだけの暴力シーンを作り上げなければならなかった、ということなのだろう。
とにかく映画の半分は暴力です。
各LINK張るとレビューなど他人の批評読んじゃうから、止めました
私的印象批評とまいりましょ!
あしからず
この人たちは自分が何をしているか判ってないのです・・・
神よ、彼らをお赦し下さい。
暴力を振るう相手を赦す・・・
先日のアメリカでのアーミッシュのお子さんが小学校で射殺された事件の、亡くなった子供の両親を思い出します
犯人は自害し、その両親は謝罪を繰り返した。亡くなった子供の両親は彼らを葬儀に招き、赦しを与える・・・
さらに亡くなった子供は、小さい子らをかばうために進んで
私を撃ってください
と犯人に言ったそうだ・・・。
非暴力、ボクはこれらを否定していたのだけれど、この記事を読み涙が止まりませんでした。考えることを止めてはいけないんだなと感じたのでした。

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