ギターマガジンといえば宮脇俊郎という方の連載、以前から気になっていたのだが、いざ読み込んでみるとこれが素晴しい。僕なんぞがソロ実践云々と語っているのが阿呆らしくなった。
まあ僕が書いているのは、本番中、頭の中が真っ白になっても最悪これで切り抜けられるという、酔払いの帰宅法レベルのノウハウなので、これはこれで需要があるかもしれない。D Bm G A7という循環に関しては、いずれ最後まで書く。
ただ「素晴しい」と騒いだとてどこがどうとも伝わらないので、僕なりに噛み砕いてみる。ギタリストが最初に覚えるスケールは(僕は違っていたが)いずれかのペンタトニック(五音音階)だろう。エレキギターはブルースと共に進化した楽器なので、ブルースに応用しやすいマイナーペンタトニックこそエレキの音階の基本、という考えは根強い。
しかしながら純然たるブルースギタリストは、日本にはそう多くないという気もする。歌謡曲的な、あるいはフュージョン的なコード進行のソロ枠を与えられ、なるべく指癖を活かしてブルージィに切り込みたいのだけれど、ペンタトニックをどの位置で弾けばいいのか分からない。そういうギタリストが殆どではないか。
世の巧い演奏家たちはどうしているのだろう?
・瞬時に作曲できる。指も完全に追従する。
――理想。天才の所業である。もっとも素朴なレベルにおいては、初心者でも近いことをやろうとしていたりする。
・各コード、或いはコードの流れに応じたフレーズのストックが、大量にある。
――良い意味での指癖の乱打。ソロが切り貼り的になってしまうきらいはあるが、指を自動的に動かしながら先のことを考える余裕があれば、うまく起承転結をつけられるだろう。
・フレーズのストックこそ少ないが、スケールをよく練習しており、局面ごとに適合スケールを見つけては巧みに上下する。
――このタイプも意外と多い。華麗な上昇には「おお」と息を呑むが、逃げ切り型というのかな、疲れてくると本当にただの上下となって、一音も印象に残らなかったりする。
・じっくりと練りこんだ「書きソロ」しか弾かない。
――「アドリブがきかない」として日本では莫迦にされがちなタイプだが、欧米のプロには多いように思う。もちろん必要に迫られればアドリブも発するのだろう。競争の厳しい世界においては、僅かな事を完璧に出来る人のほうが重宝される。「なんでも八十点」では身の置き場がないものだ。
現実には殆どのギタリストがこれらの複合型で、流儀として分かれている訳ではない。宮脇メソッド(元になっているメソッドはあるのだろうが、ここではこう呼ぶ)は、「ペンタトニックの使い分け」によっても同じ山に登れるという事実を示している。コード進行の解析という事前の作業は必要だが、そのうえでペンタトニック・チェンジのタイミングに慣れてしまえば、吃驚するほどの結果が得られる。ブルージィなのにジャジィ。知的なのにワイルド。僕がこの方式で弾くとなぜかデイヴィッド・ギルモアの真似をしているように聞えるので、ラヂデパではこれを「ギルモア」と呼んでいる。実際にギルモアがそういう意識で弾いているかどうかは定かではない。
単純な例。ブルージィな奏法に慣れている人にメジャーセヴンスは鬼門。CM7に対してCメジャーペンタトニック(Aマイナーペンタトニック)では、重要な七度の響きが得られず、「似た別の曲」を弾いているように聞えてしまう。Cマイナーペンタトニックは論外。細かい理屈は中略して、ここでEマイナーペンタトニックを弾く。これが合う。C音こそ入っていないものの、他のCM7に欲しい響きが幾つも含まれているからだ。
もう一例。ロックやポップスの進行において、サブドミナントがマイナーに変化――部分転調することがよくある。キイCの曲にFmが入り込んでくるあれだ。Fmペンタトニックを弾きたくなる気持ちをぐっと怺え、まずはキイが一音下のBbに移ったと捉えてみる。Bbメジャー(Gマイナー)ペンタトニック? いやいや絶妙なテンションを含んだその四度上のペンタトニックを弾くのだ。即ちCマイナーペンタトニック。陥没感が強調されて劇的な結果となる。
これらの変換は自動的に成立するものではなく、曲想を踏まえた細かな判断を要し、仕込みの段階ではかなり頭を使う。変換しきれない部分で仕方なくコードを弾いたら、それはそれで良かったりもする。まあ僕なんぞの請売りは読み流し、じかに宮脇メソッドに触れられることをお薦めする。文章も軽妙で良い。

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