下は、一読者が匿名掲示板2ちゃんねるに投稿なさった、拙作「黄昏抜歯」と川上未映子作「わたくし率 イン 歯ー、または世界」との比較検証です。比較者の許諾のもと、ここに転載させていただきます。
類似の発見者や告発者が、善意の読者であるにも拘わらず、著者(津原)共々に、多数もしくは多数を装った匿名者から、私生活にまでわたる、根拠なき誹謗中傷の弁を浴び続けるという、異常事態への対処です。
これ以上の精神的被害を避けられればよいのであって、糾弾の意図はありません。経験則に過ぎませんが、このような場合、なるべく大勢の方に事態を知っていただくことが、有効な自衛策となります。
比較検証を拝読しての、僕自身の所感をあっさりと述べておきます。
「物足りないが、フェアである」
例えば、すぐ下にリンクするような「わたくし率 イン 歯ー、または世界」の着想への賛辞を読んだとき、予め苦労を重ねて自力でそこへと到達していた者は、どのように感じるか。
まず生じるのは、怒りではない。恐怖です。もし貴方がスポーツ選手で、肉体を酷使して記録を樹立され、ところが表彰台には別の人が上がっていた……そんなふうにでも御想像ください。最初の感情は、恐怖です。と、このくらいは記す権利があるでしょう。
http://donguri.moe-nifty.com/bungaku/2007/07/20070_2502.html
「黄昏抜歯」の初出は2002年の小説現代(この時点では「かわたれ抜歯」)、2004年に改題のうえ『綺譚集』に収録されて、これは現在、創元推理文庫に入っています。
「わたくし率 イン 歯ー、または世界」の初出は「早稲田文学2007年0号」、それ以前の著作「感じる専門家 採用試験」は“問答詩”とのことなので、川上氏、初の小説ということになり芥川賞候補ともなりました。2007年に「感じる専門家 採用試験」を加えて単行本化され、現在は講談社文庫に入っています。
なお別件ですが、以下二件の部分的酷似につきましても、一般の方から指摘がなされたところ、同様の誹謗中傷、挙句、尾崎翠フォーラムに恫喝めいたメールが届くという事態まで生じており、何処のどなたか存じませんが、そういう事は本当に已めていただきたい。
フォーラムのサイトに転載された記事の初出は、2001年5月13日付「日本海新聞」であり、こちらが先行しているのは勿論のこと、あくまで「第七官界彷徨」をアレンジした映画の評です。
http://www.osaki-midori.gr.jp/_borders2/EIGA/3-EIGA/3-EIGA/HYORON.htm
http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post.html
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黄昏抜歯とイン歯―を比較してみた。
類似(1) 思考は脳でなく歯に宿る
類似(2) 歯の鳴る音が作品内で独特の存在感を出している
類似(3) 辛い感情を歯に閉じ込めることで自己救済しようとする
類似(4) 医師に抜く必要のない歯を抜いてもらう
類似(5) 診察台の上で、過去の忌まわしい記憶がよみがえる
※投稿者の私見です。疑問を感じる方は是非ご自身でお読み下さい。
※再考・修正すべき個所はご指摘歓迎します。
※両作品のネタバレ注意
参考までに、(1)〜(5)について該当箇所を引用する。
類似(1) 思考は脳でなく歯に宿る
【黄昏】
記憶というのは本当は、脳で憶えるものなんかじゃなくて、三十二本の歯にやどっているのだ。
【イン歯】
――(略)記憶にしても思想にしても(略)それはとりあえず脳髄でどうぞ、ということで決着がついているようであって、(略)働くんならば脳外科などがいいんではないでしょうかと。
――今のところ、わたしに脳はあんまり関係ありませんで、なんとなればわたしは奥歯であるともいえるわけです。(略)」
――あなたは脳じゃないところで思考もろもろをしているというような実感を持つとこういうわけであるのですか。
類似(2) 歯の鳴る音が作品内で独特の存在感を出している
【黄昏】
・かちかちという音がかたわらに聞え(略)なんの音に似ていたのだろう(略)かちかちかちという幼児の跫音が
・吸入器の内部が振動して、かちかちという音を立てた。(略)かちかちかち。やがて収まった。
・あれは、富樫瑞穂の歯の鳴る音だ。かちかちかちかち。
・彼女が寒さに歯を鳴らしていたのは、二人掛けのリフトの上だ。かちかちかち。
・金属の器具でその歯を叩いた。かちかち。陶子は怖気だち(略)
・瑞穂は黙っていた。寒さにか、怒りにか、かちかちかちかち、ただ歯を鳴らしていた。
【イン歯】
・わたしはベッドから起き上がって奥歯をかちかちいわせて歩き回り(略)
・わたしはあの時も奥歯をかちかちいわせて青木の歩数を数えてたんやった。
・いったいどうしたんやろうと、奥歯を小刻みながら黙ってると、
・いつだって、明確な終わりの期日を教えてほしくていっつも歯を鳴らしてた、
類似(3) 辛い感情を歯に閉じ込めることで自己救済しようとする
【黄昏】
住みなれた家を、実の父から追われた日、その引越の最中、陶子はしきりに親知らずの孔を舐め、痛いのはここ、痛いのはここ、と頭の中で繰り返していた。(略)
「どうしました。どこか痛い?」近づいてきた看護婦に問われて、自分が涙ぐんでいることに気づいた。眼を指で拭って、頭を左右に振った。痛くも悲しくもない。あの親知らずはもうないのだから。ほら、あるのは肉のくぼみだけ。
【イン歯】
そうや、わたしは、いつもこうやって来たんやった、痛かったり悲しかったりどうしようもないもんがわたしに入ってきたときは、
誰にも絶対潰されへん、わたしがどんなに傷つけられてもぜったい傷つけられへん私を入れた、勝手に決めた奥歯の中に、
痛みの全部を移動させてぜんぶ閉じ込めて来たんやった、わたしは歯が痛くなったことがないのやから、そこに痛みを入れてしまえば、わたしはどっこも痛くなくなる、
類似(4) 医師に抜く必要のない歯を抜いてもらう
ちなみに直前の流れは【黄昏】【イン歯】共通
初診の歯科を来院→アンケートの項目にしっくりこない→現れた医師の顔の描写
→診察、歯を順ぐりに記号で呼ぶ医師→治療の相談
【黄昏】
「先生」陶子は院長の腕をつかんだ。ささやいた。「その歯も一緒に抜いて」
「え」と院長は言って、視線をちらちらと揺るがせた。しばらくして、「治る歯だけど」
「抜いてほしいんです。抜いてくださったら、わたしはなんでもします」
【イン歯】
どこも悪い歯ないですけど、今日は歯石取りですか、わたしはいえ、いえ、とだけ云って、奥歯を抜きに来ました今日は、
わたしはその、奥歯を抜きに来たんですと告げました、医師はああこれ、この親知らずねと云って、それから抜くの抜かないのとそれにまつわる
色々な見解、勝算、症例など交えてやりとりは混ぜられて、わたしは抜きに来たのやから、抜いてもらいに来たんです、
類似(5) 診察台の上で、過去の忌まわしい記憶がよみがえる
※ここは両作品とも特に大事な場面なので、引用しません。読んでみて下さい。
オマケ(1)
以下の細部は妙に対称的で、元の設定をアレンジしたようにも見えるがまあ邪推かもしれない。
【黄昏】どちらかというと歯を磨きすぎ
【イン歯】歯を磨いたことがない
【黄昏】歯が痛む
【イン歯】歯が痛んだことがない
【黄昏】虫歯になりにくい
【イン歯】虫歯になったことがない
【黄昏】女女男の三角関係(主人公女は、ライバル女に攻撃をする)
【イン歯】 同じく (主人公女は、ライバル女に攻撃される)
オマケ(2)
【黄昏】作品前半、ケータイの長い会話シーンで主人公と恋人との関係を描写
【イン歯】 同じく (ただし妄想オチ)
※両作品ともケータイは恋人との関係を表す道具として頻繁に出てくる
【黄昏】充電するためにケータイを探すが見つからず、そのままぐったりと寝る
【イン歯】ケータイを充電したあと急な眠りに襲われる
【黄昏】主人公に、詰め物が取れかけて何年もほうった歯がある
【イン歯】恋人に、詰め物が取れて七年ほうった歯がある
【黄昏】口内で歯を順に舐めて親知らずの抜歯跡にたどりつく
【イン歯】夢の中で前歯のない感触を舌でなんども味わう
【黄昏】歯科院長の名が青野(最後に恋人と混同される)
【イン歯】恋人の名が青木
読んだ感想
・文体やストーリーが違うので、小説としての全体的な印象は似ていない。
・イン歯ーの方が枚数が多く、その分哲学的なテーマ(永井・西田的な)や日記など別の要素も多い。
・しかし歯については、似ている箇所が多く見つかる。
・黄昏の作品世界を切り刻んであちこちアレンジして埋め込んだ、という印象。
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読み易さに配慮して、比較者が初出メディアを考慮して度々置かれている「------以下引用------」は省略させていただました。
また、一部のブラウザでは丸付き数字が表示されないとの御指摘がありましたので、括弧付きの数字で代替させていただきました。
【追記/2010.10.11】
上の投稿から十日余り。ウェブ上に単純な誤解や、間接的な御質問が見られるようになりましたので、補足、強調しておきます。
二つの「***」で挟んだ検証文は、津原によるものではありません。またこの検証者は、類似の発見者とは別人です。「第七官界彷徨」紹介にまつわる発見者も、また別人です。いずれも一般の方々です。
津原が彼らからのメールやBBS投稿によってこれらを知り、実際に読み比べたのは、本年九月、乃ちごく最近のことです。

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