さる事情に拠って――と云ってもバレバレでしょうが、ビートルズの〈Something〉を改めてコピーした。
M.C.エッシャーに無限階段と称される作品がある。いちばん下までくだったと思いきや最上段。勿論、そんな階段を造るのは不可能だ。遠近法を操作した二次元上のトリックに過ぎない。
音楽の「下降進行」とでも云うのだろうか、正式な名前は知らないが、そういうコード進行にも同じ魔力がある。Am/Am(+maj7)/Am7/Dという進行が有名。
+−+R+−+−+−+
+−+5+−+−+−+
+−+3+−+−+−+
+●+○+○+○+−+
+−+r+−+5+−+
+−+R+−+−+−+
これ。Am系のうちはこの三つの○をだんだん下降していく。で、次はサブドミナント(D)に行く。Dには●の音が含まれているので、そこまでどんどん伴奏が下がっていくような錯覚をおぼえる。でもDのルートはrと示した位置だから、現実にはコードは「上がって」いる。トニックに対してサブドミナントが「下がって」いると認識する人は少ないだろうから、上がっていると称していいだろう。
無限階段でいえば、手摺はどんどん下がっていた筈なのに、気がつけば自分はずいぶん上にいる――そういう錯覚を生じさせる進行だ。これを始めたのが誰なのか、僕は知らない。半音でゆらゆらする進行は、ジャズのスタンダードにもいっぱいある。モータウンのヒット曲にも多用された。しかしこの錯覚を全面に押し出し、極限まで追求し続けたのがビートルズだというのは、間違いない。
〈Something〉はその集大成のような作品で、のっけからC/Cmaj7/C7/Fという、上の進行例のメジャーコード版である。次にD7で部分転調するのはジョージ・ハリスンの癖。この人はすぐにキイの一音上に行きたがる。
次のマイナーの展開はもろに上の図。結末としてFに行ってからは、かの超有名なイントロが繰り返される。ここは逆に半音上昇の進行。F/Bb/B/C。どの辺が上昇なのかは、実際にギターを手にして確かめてください。
スワンプロック風の大サビでは、別の下降が出てくる。A/Amaj7/F#m/F#m7。半音ではなくドシラソと下がっている。"I don't know, I don't know"と歌った後のキメはAからの半音下降。繰り返しにおいてはキメがCからのドシラソ下降。こういったポイントにピアノの低音が重なるのも、ビートルズの発明品だ。
それにしても、一曲のうちにどれだけ下降進行を入れられるか、実験をして遊んでいたとしか思えない。
ハリスン歿後、マッカートニィはこの曲をウクレレの弾き語りで演るようになった。「ジョージと一緒にウクレレで作った」と強調している。ハリスンはウクレレのコレクターとして有名で、マッカートニィが弾いている珍しいギブソンのコンサート・サイズ(しかも左利き用)は、彼からのプレゼントなのだと思う。
どこまでがマッカートニィの功績かは知らねど、ウクレレで作ったとの弁は信用できる。ウクレレでなら、歌い出しの部分などその日初めて楽器に触れた人でも弾けてしまう。
+−+−+●+ +−+●+−+
+−+−+−+ +−+−+−+
+−+−+−+ +−+−+−+
+−+−+−+ +−+−+−+
+●+−+−+ +−+−+−+
+−+−+−+ +●+−+−+
+−+−+−+ +−+−+−+
+−+−+−+ +−+●+−+
これだけ。左上、右上、左下、右下、の順で、C/Cmaj7/C7/F。押さえていない絃は一緒に掻き鳴らしていればいい。
ちなみにマッカートニィは声の都合上か、ウクレレ全体を一音下げている。こういう事まで書くから太朗にギークだと莫迦にされる。
ジョージ・マーティンの手堅いストリングス・アレンジも素敵だが、右チャンネルのマッカートニィのベースが凄絶。ベースを弾いているというより、延々と一緒に歌っている。やや音程が甘いし、サスティンが無く「ずぼっ」というニュアンスがあるので、楽器はヘフナーでしょう。
音の劣化を嫌ってベースは最後にレコーディングしていたというマッカートニィだが、楽器の多いこの曲ではさすがに他に譲ったか、アルバムの他曲に比べてやや聴き取りづらい。例えば続く〈Maxwell's Silver Hammer〉の、左に定位した管楽器を模したベースなんざ奇蹟のような音である。リッケンバッカー? ジャズベースのような気もする。高音が独特の「ぐげっ」という音色で、エンヴェロープ・フィルターを掛けているのかと思った。ピッキングの強弱で変化しているにしては音色が安定しているので、違うと判断とした次第だが。
話が逸れた。
ハリスンのリードギターは、ローズウッドのテレキャスターだと思うが、間違っていたら恥ずかしいので断言はしない。このたび非常に面白い発見をした。音色が、最初はフロントマイクらしき甘い音。僕にはこれが昔から「ぽ、ぱうろ」と聞える。
なぜか途中で一瞬、リアであろうぺらぺらな音色に変わる。大サビに行く前のイントロだ。これはギターを弾かない人でも、誰にでも分かるので気をつけてみてください。
ソロ以降はたぶんミックスポジション。なんだかダブリングしたような「ぱこん」という音色になっている。
ボリュームペダルで、弾きながら音量を微妙に変えている点や、スライドか? というフレージング等から、ハワイアンギターを意識しているのだと推測できる。「一緒にウクレレで作った」というマッカートニィの証言と繋がる。
左側では、モジュレーションの掛かったギター類やオルガンが渾然となって、一つの不思議な楽器みたいに響いている。ストリングス風だが、それにしてはローファイな音も時々聞えるのだが、なんだろうね?
だいぶ色々な楽器を出し入れしたらしく、時々不協和音も聞える。
大サビではギターにワウを掛けているのであろう「くわっくわっ」という音も聞える。実はそれに呼応して、中央では「んぴっぴ」という、マンドリンみたいな音が鳴っている。こういう無駄に思える部分への労力、その一方で意図不明な音色の変化を温存してしまう辺り、いかにもビートルズの仕事である。

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