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2011/4/23

邪馬台国と卑弥呼-84  呉服と蚕  邪馬台国と卑弥呼
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蚕の幼虫


応神天皇37年(306年)、日本にまだ服を作る技術が未熟な頃、呉(中国)の王様に、服を作る技術を教えて欲しいと、阿知使主(あちのおみ)と都加使主(つかのおみ)を使いに出し、呉の国の王様は、兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)という四人の姫を、織物、縫物の進んだ技術を日本に伝えるために日本に向かわせてくれました。  

これが呉服の語源ですが、日本の蚕は今日でも江南系であり、吉野ヶ里で発見された絹は、遺伝子分析により紀元前2世紀頃中国江南に飼われていた四眠蚕の絹であることが分かっています。 当時の中国は、蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じておりましたが、世界で最初に国外に持ち出された場所が、日本の北部九州である事が考古学的に証明されました。 

ちなみに、呉服とは、単なる服のことではなく、織物(反物)、特に絹織物の事を指します。





邪馬台国と卑弥呼-54  呉服
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html




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