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2011/10/18

邪馬台国と卑弥呼-149  神功皇后とは誰か   邪馬台国と卑弥呼

天皇家は、初代の神武天皇に始まり、第125代の今上(きんじょう)天皇にまで続いていますが、名前に神の文字を持つ天皇はわずかしかおられません。



初代  神武天皇   紀元前660年1月1日−紀元前585年3月11日(在位)
10代  祟神天皇   紀元前97年1月13日−紀元前30年12月5日 (在位)
14代 (仲哀天皇)  192年1月11日−200年2月6日(在位) 
     神功皇后   170年−269年6月3日(生誕から崩御)
              201年−269年6月3日(在位)   
15代  応神天皇   270年1月1日−310年2月15日(在位)
16代  仁徳天皇   313年1月3日−399年1月16日(在位)


邪馬台国は、1世紀から3世紀にかけて倭国にあった国ですが、神の名がつく天皇はその時期に集中しています。  当然ですが、神の名を持つ天皇が日本建国に重要な役割を果たしたと考えるべきでしょう。

卑弥呼(175年頃-248年頃)と神功皇后(170年-269年)と時代が一致し、どちらも女帝であった事、また卑弥呼が亡くなった後も神功皇后が生きていた事を考えると、神功皇后は卑弥呼でもあり、台与でもあると考えるのが自然であると思います。




神功皇后は台与との結びつきが大きく、台与と同一人物とされる説が多くありますが、日本書紀においては、年代的にも卑弥呼が神攻皇后であるかの如く記しています。

これは、本居宣長の邪馬台国偽僭説で説明できます。 この説は、当時、北九州勢力と畿内勢力が争っており、畿内勢力が優勢になったため、起死回生の手段として、北九州勢力が自分達が日本を支配する邪馬台国であるとし、魏に朝貢を行い、魏を味方につけたというものです。

実際、邪馬台国九州説の舞台となる筑紫平野の山門(やまと)には、田油津媛というシャーマンの女首長がいましたが、彼女こそが魏に朝貢を行ったヒミコでありましょう。 しかしながら、本当の邪馬台国の女帝は畿内の大和にいたわけです。

日本書紀には、「 北九州を制圧した神功皇后は、筑紫平野南部山門郡(やまとぐん)の女首長を攻め滅ぼした。 」 とあり、魏に朝貢した北九州勢に激怒した大和の邪馬台国が攻めたという事です。


邪馬台国と卑弥呼-140  神功皇后の卑弥呼殺し
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1516.html


ここで、ヒミコという名前ですが、これはシャーマンの日巫女(ヒミコ)を表すもので、本当の女帝の名前ではく、職業名です。  法隆寺は誰がつくったのかと聞かれて、大工がつくったというようなもので、一見魏をバカにしたようにも受けとれますが、その実はウソがばれたときでも、本当の邪馬台国のヒミコ(=日巫女)は大和にもいるわけですから、ウソをついていないという事まで考えてのことと推測されます。


神功皇后が、山門の田油津媛を殺害した後、魏に対して、朝貢したのは偽者だったという事もできますが、大国の魏に対して、それはあまりにも非礼であり、また魏が邪馬台国に友好的な感情をもってくれている以上、そのままにしておいた方が、本当の邪馬台国(大和)にとって有利であるとの判断したものと思われます。

ですから、対外を意識した正史の日本書記には、神功皇后がヒミコ(卑弥呼)であるかの如く、書き記す必要があったのでしょう。



すなわち、ややこしいのですが、神功皇后は北九州山門の偽の邪馬台国の女帝卑弥呼の田油津媛でもあり、箸墓古墳に葬られている倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)でもあり、越の沼河比売(=奴奈川姫)=台与でもあり、 丹後国風土記の天の羽衣伝説にでてくる八人の天女のうち羽衣を奪われ地上に残った一人の天女であるといえます。



魏志倭人伝によれば、卑弥呼は魏に朝貢した際、ヒスイは贈っておらず、台与はヒスイを朝貢している事を考えれば、台与はヒスイの産出する越の人であったと考えられます。 

縄文時代から古墳時代にかけて、勾玉や大珠などの翡翠(ひすい)製品は、珍重されましたが、その原産地は新潟県の糸井川周辺にほぼ限られることが科学的分析によりわかっており、

ヒスイは古くは 「 ヌ/瓊 」といわれ、糸魚川の旧名は「 ぬなかわ 」で、これはまさしく「 ヌを産する川 」の意味で、越の沼河比売(=奴奈川姫)は、この地のヒスイを支配する祭祀女王とされています。


魏志倭人伝には倭の産物として、真珠・青玉があるとされ、また魏志倭人伝によれば、台与(とよ)が魏に孔青大句珠(こうせいだいくしゅ=青い大型勾玉)二枚朝貢した記述があります。 この青玉、孔青大句珠は翡翠のことであります。


邪馬台国と卑弥呼-121 魏志倭人伝 まとめ   
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1456.html

 
卑弥呼と台与は違った地方の女帝であったにも関わらず、魏志倭人伝には同じ邪馬台国の女帝としている事からも、本居宣長の 「 邪馬台国偽潜説 」 を裏付けているものと考えてよいでしょう。




邪馬台国と卑弥呼-1   邪馬台国の場所・卑弥呼の墓はどこか 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1248.html
邪馬台国と卑弥呼-138  神攻皇后と気比神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1514.html
邪馬台国と卑弥呼-139  卑弥呼と天照大御神
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1515.html
邪馬台国と卑弥呼-143  二人の日巫女 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1519.html




「 天津神社並奴奈川神社 」 の伝説によれば、大国主命から熱烈なプロポーズを受け、結婚したものの、不仲となり、悲嘆の末に糸魚川平牛山稚児ガ池のほとりの芦原に身を隠し、二度と姿を見せなかったとされており、

異伝では、逃げる姫を大国主命の使者が追跡するが、とうとう稚児ガ池の萱原で姿を見失い、そこで使者は姫をいぶりだすため、萱原に火を放ちますが、姫は姿を現さず、使者達は泣く泣くそのあたりに姫の霊を祀ったとされています。


邪馬台国と卑弥呼-137  天の羽衣伝説 と 伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1513.html
邪馬台国と卑弥呼-129  天皇家が避ける伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1503.html


これは何を意味しているかといえば、出雲系の王に、越の国は征服され、奴奈川姫(=台与=神攻皇后)は政略結婚さされますが、その後、出雲勢力(大和)に裏切られ、火を放たれ、入水自殺ということです。

すなわち、大和には、神武天皇が入る前に、出雲系の大物主命=ニギハヤヒが既に入っていた事は既にお話しましたが、出雲系の大和の王(仲哀天皇)と結婚した神攻皇后=卑弥呼+台与は、武内宿禰=住吉大明神=浦島太郎と彼を暗殺。


邪馬台国と卑弥呼-123  天磐船(あめのいわふね)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1497.html
邪馬台国と卑弥呼-124  饒速日(にぎはやひ) 
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邪馬台国と卑弥呼-7  武内宿禰(たけうちのすくね) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1254.html


大和に対して劣勢にたった北九州勢が起死回生の作戦として、北九州の山門の女首長が、倭(=日本)の女帝と偽り、魏に朝貢。 それを知った台与=神攻皇后は、山門の女首長(=日巫女=卑弥呼)を討ち、さらに三韓征伐。


邪馬台国と卑弥呼-140  神攻皇后の卑弥呼殺し
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1516.html
一級資料見つかる 新羅は倭の属国 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1496.html
百済・新羅は日本の属国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1398.html


そして北九州で誉田別尊(ほむたわけのみこと=後の応神天皇)、応神天皇を出産し、しばらく北九州(宇佐八幡宮神社)に留まり、我が子を大和の王とすべく、大和に向かおうとしたが、仲哀天皇の前妻に大中姫(おおなかひめ)という妃がいて、この妃との間に籠坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)がおり、彼らが神攻皇后=台与=奴奈川姫の大和入りを良くは思わず、神攻皇后は大和に裏切られる。


武内宿禰=住吉大明神=浦島太郎に誉田別尊をあずけ、彼らは日向に向かい体制を整える一方、台与=神攻皇后=奴奈川姫は、大和勢が誉田別尊に近づかぬよう、みずからおとりとなり、日本海側に逃げ、最後に糸魚川平牛山稚児ガ池のほとりの芦原で、火を放たれ入水自殺。


誉田別尊は武内宿禰=住吉大明神=浦島太郎の水先案内により、大和の抵抗を退け、応神天皇として即位。 神武東征と話しをシルエットの如くあわせているのだと思います。


記紀神話では、台与=神攻皇后=奴奈川姫の事は、大和政権に都合の良いように書いているが、地方の伝説は台与=神攻皇后=奴奈川姫の伝説を正しく残しているのだと思います。


邪馬台国と卑弥呼-138  神攻皇后と気比神宮  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1514.html


ここに、神攻皇后が越の気比神宮ですごしていた事と、越の奴奈川姫との関連、さらに魏志倭人伝によるヒスイの朝貢による台与=神攻皇后=奴奈川姫との関連。  



邪馬台国と卑弥呼-145  台与 と ヒスイ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1521.html
邪馬台国と卑弥呼-146  蘇我氏 と ヒスイ    
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1522.html



さらに、神攻皇后は、山口県の穴門郡豊浦宮ですごしたという、神攻皇后=台与が豊に関連する話。

そして最期の芦原で火を放たれて入水自殺した話と、豊葦原瑞穂の国=日本。  ここでも豊がでてくることからも、神攻皇后のゆくところに常に豊が付きまとう事からも、神攻皇后=奴奈川姫=台与と考えてよいと思います。


すなわち、日本建国に多大なる貢献を行った台与(=神功皇后)でありますが、最期は大和に裏切られ、入水自殺。 そして、彼女と夫婦関係にあった武内宿禰(=住吉大明神=タカミムスヒ=高木神)もまた大和に裏切られた。

天智天皇の時代に、白村江の戦いで、唐・新羅軍に敗北し、国家存亡の危機に陥った日本は、伊勢の海人族の助けを借りて、クーデターに成功した天武天皇は、国民の意識昂揚のため、新しい神を必要とし、伊勢神宮に太陽神のアマテラス信仰を必要とした。

その際、三韓成敗を行ったとされる伝説的な女帝、神功皇后をその信仰の対象としたのではないでしょうか。  また、白村江の戦いに敗れたのも、武内宿禰(=住吉大明神)と台与(=神功皇后)の祟りと考え、彼らを伊勢神宮の内宮、外宮に丁重に祀り、祟りを封じた。


それ故に、歴代の天皇が伊勢神宮を避けているのだと思います。


ちなみに、天皇が伊勢神宮に初めて参拝したのは、明治5年(1872年)に明治天皇が初めてで、それまで天皇は誰一人として、伊勢神宮に訪れていないそうです。 692年に持統天皇は伊勢を通って志摩まで行っていますが、伊勢神宮には寄らず、740年には聖武天皇が、三重県津市白山町川口に10日間滞在したものの、それでもやはり伊勢神宮に行っていません。



天皇家が避ける伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1503.html
邪馬台国と卑弥呼-135  伊勢神宮 心の御柱
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邪馬台国と卑弥呼-59  伊勢神宮-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1307.html
邪馬台国と卑弥呼-60  伊勢神宮-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1308.html
邪馬台国と卑弥呼-61  伊勢神宮-3 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1309.html
邪馬台国と卑弥呼-86  伊勢神宮と登呂遺跡
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1388.html


伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1040.html
 

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