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2011/11/19

邪馬台国と卑弥呼-166  斎庭之穂 (ゆにわのいなほ)    邪馬台国と卑弥呼
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天孫降臨の際、天照大御神から斎庭之穂を授かる邇邇芸命(ににぎのみこと)


日本書紀によれば、天照大御神は、「 私が高天原に所有する斎庭之穂(ゆにわのいなほ) を持たせなさい 」 と仰せになり、邇邇芸命に神聖な稲穂を持たせて降臨したと書かれています。

また、日向風土記には、邇邇芸命が持っていた稲穂の籾(もみ)を投げ散らかしたときに、暗黒だった地上界に明かりがもたらされたとしています。

これは、稲作の起源は、天皇の先祖からもたらされた事を伝えようとしていると考えられます。 今日では、稲作は長江文明を担った、中国江南地方の苗族から伝えられた事がわかっておりますが、という事は、天皇や日本人は長江文明の末裔なのでしょうか。


また、同じく日本書紀での天孫降臨神話は巻二「神代下」の冒頭部分で、高御産巣日神(タカミムスヒ)が真床追衾(まとこおうふすま、玉座を覆うフスマ)で邇邇芸命を包んで日向の襲の高千穂の峯に天降りさせたとしています。



中国では、世界的にも早い時期に農耕がはじまっており、最近の発掘調査では約1万2000年前に長江(揚子江)中流域で稲作をはじめとする農耕が行われていた事が確認されており、水田としては、長江下流域の約6000年前の水田の跡が最も古く、長江流域が稲作の起源とされています。

中国江南地方の人々が船に乗って日本にやってきて、稲作を伝えた事がDNA鑑定により明らかになっておりますが、日本では岡山県の彦崎貝塚の約6000年前の地層から、大量の稲のプラントオパールが見つかっており、陸稲の栽培は約6000年前から行われていた事がわかっています。

また、福岡市の雀居(ささい)遺跡の出土品を放射性炭素年代測定法で分析した結果、日本の水田稲作は紀元前1000年頃(約3000年前)には行っていた事が知られています。

朝鮮半島では、水田稲作は6世紀ころまでしか遡れず、遼東半島と朝鮮北部での水田耕作跡は近代まで見つかっておらず、日本が朝鮮半島に水田耕作伝えた事が判明しています。




邪馬台国と卑弥呼-6  新嘗祭
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稲作伝来
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邪馬台国と卑弥呼-51  稲作伝来-2
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邪馬台国と卑弥呼-163  苗族 と タカミムスヒ    
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邪馬台国と卑弥呼-134  伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神)
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邪馬台国と卑弥呼-31  苗族の結婚と日本神話 
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苗家美
http://www.youtube.com/watch?v=_hLaJFjqjPQ&feature=related




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