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2011/11/28

邪馬台国と卑弥呼-174  纒向遺跡  邪馬台国と卑弥呼
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纒向遺跡のイメージ図


纒向遺跡は奈良県の三輪山の麓に位置し、日本書紀によれば、第十代祟神天皇の宮は「磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)」=現在は奈良県桜井市金屋、第十一代垂仁天皇の宮は「纒向珠城宮(まきむくたまきのみや)」=現在は奈良県桜井市穴師周辺、第十二代景行天皇の宮は「纒向日代宮(まきむくひしろのみや)」=現在の奈良県桜井市穴師、と記述しており、いずれも三輪山の麓に位置しています。



纒向遺跡は日本で最初に誕生した王都で、この王権は大和王権です。 この遺跡は計画的に造営されており、都市機能を有し、出土する土器の産地は南関東から北九州の広範囲に及び、都市の中で鉄器生産が行われ、桃の種が約2000個、マダイ、アジ、サバ、コイなど6種類以上の魚の骨やウロコが確認され、動物もイノシシやシカ、カモの骨など千数百点が見つかりました、これは全て祭祀用の供え物です。

纒向遺跡の3世紀中頃の遺構から紅花(べにばな)の花粉が多く見つかりました。 紅花は虫媒植物で、アジアに自生しておらず、エジプトが原産であり、当時は中国でも高価で貴重な染料であります。  魏志倭人伝によると、243年卑弥呼が魏に赤や青の織物を献じたと記録されていることからも、卑弥呼の時代に既にエジプトと交易があったことを示すものであります。


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紅花


また、纒向遺跡で重要なのは、最古の前方後円墳群があることで、これは大和王権の王の墓で、この後100年の間に、日本列島の広範囲に無数の同じ型の古墳が造営されました。 いうまでもありませんが、前方後円墳が広がってゆくのは、大和王権の勢力が全国に拡大した事を示しており、日本中に造られた前方後円墳の数々は、4世紀までに統一王権が成立した事を物語っています。



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仁徳天皇陵




日本文明
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