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2012/3/13

邪馬台国と卑弥呼-212  出雲国造神賀詞  邪馬台国と卑弥呼
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出雲地方の地図


古事記が撰上された712年頃に、出雲氏が祭政の拠点を意宇郡から杵築に移しますが、出雲国果安(708-721)の時でありました。

出雲果安が出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)を奏上したのが716年で、息子の広嶋に国造を譲ったのが721年。

出雲国造神賀詞とは、新任の出雲国造が天皇に対して奏上する寿詞であります。

記紀神話が編纂されたときに、この出雲国造神賀詞がはじまり、天皇家をほめたたえ、永遠の繁栄の呪詞「出雲国造神賀詞」を朝廷で奏上し始めますが、古事記のヒーロー、スサノオとオオムナチが登場します。



オオムナチが登場するのは、アキツミカミの守護のために、自分の分霊をヤマトに配置したことを述べ、

三輪山には自分の和魂(にぎたま)であるオオモノヌシを、葛城山の高鴨神社には子神のアジスキタカヒコネを、高市郡の雲梯(うてな)神社には子神のコトシロヌシを、同じく高市郡の飛鳥の神奈備の加夜奈留美命(かやなるみのみこと)神社には、子神のカヤナルミを、
「皇孫(すめみま)の命の近き守神と奉り置」と述べてから、

オオムナチ自身は、「八百丹(やおに)杵築の宮(杵築大社)」に鎮まったと、神賀詞は述べています。


これは出雲の服属と、三輪や葛城などの古いヤマトの大神たちの服属が、オオムナチの子神という括りでまとめられ、詠み込まれています。


杵築大社の創建は、出雲国果安の時と考えられており、「古事記」の出雲神話は、ヤマト朝廷に敗れた諸国の国津神の服属=「国譲り」をシンボリックに表すためにつくられた創作神話と考えられます。

杵築大社(出雲大社)は、大和朝廷に敗れた勢力の流刑先であり、出雲氏がこれを見張っていたのではないでしょうか。 もしそうであれば、出雲氏というのは大和朝廷に取り込まれた出雲勢力にとっての裏切り者である可能性も考えられると思います。




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