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2006/1/31

資本主義-3  国際政治・金融・企業

金銭に対する執着を嫌い、禁欲の教義である筈の、キリスト教社会であるヨーロッパで、
何故に近代資本主義が生まれたのでしょうか。

日本の江戸時代に、オランダ、イギリス、アメリカと、プロテスタントの国が経済発展してゆきますが、この背景にはプロテスタントのカルヴァン派の教義や、ユダヤ教の教義の神学的解釈の中に、秘密は隠されています。

イギリスのピューリタン(清教徒)も、プロテスタントのカルヴァン派であり、その清教徒たちがアメリカに渡り、アメリカ社会を形成していったのは、ご存知の通りです。
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2006/1/29

資本主義-2  国際政治・金融・企業

ユダヤやプロテスタントが何故、経済発展していったのかを考察する前に、最近はやりの
ITビジネス、ベンチャー企業について考えてみたいと思います。

約30年ほど前の、パソコンの黎明期から、大学や大企業で最先端技術を学んだ技術者達が、ベンチャー企業を起こしてゆき、1980年代にアメリカでベンチャーブームとなり、日本でも少し遅れてブームとなりました。

ちなみに、1968年設立のインテルや、1969年設立のAMDにしても、半導体産業の学校とまで言われた、フェアチャイルド社からスピンアウトした、ゴードンムーアやジェリーサンダースによって設立されたベンチャー企業です。
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2006/1/27

資本主義-1  国際政治・金融・企業

最近、何かと話題を振りまいているライブドアですが、詐欺師顔負けの商法には呆れてしまいます。 結局、ホリエモンは家族も捨て、金の亡者となり、詐欺行為まで働き、逮捕されてしまったわけですが、まさしく大衆社会に現れる特徴的な、根無し草の愚民である象徴的な人であるとも言えるでしょう。

エレクトロニクス業界に身をおく者として、ライブドアや楽天などがIT企業と呼ばれているのに、違和感を感じます。 何故なら、ITのハード面でもソフト面でも彼ら自身が生み出したものは何一つないからであります。 
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2006/1/25

東アジアとヨーロッパ-11  国際政治・金融・企業

今までは、東南アジアで勢力を持っていたのは、ポルトガルやスペインですが、徳川時代になり、オランダが勢力を伸ばし、他のヨーロッパ諸国を押しのけて、日本との貿易を勝ち取りました。  

この成功の影には、1602年に設立されたオランダ東インド会社の存在があります。
正式名は、連合東インド会社(Vereenighde OostIndische Compagnie)で、 「VOC」はその略称です。

オランダ東インド会社より2年前に、イギリスもイギリス東インド会社を設立していたのですが、当座会社だった為、オランダ東インド会社に比べれば資金力も組織力も弱く、 平戸にイギリス商館を設けるもわずか3年で閉鎖。 対日貿易競争でオランダに敗退しています。
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2006/1/24

東アジアとヨーロッパ-10  国際政治・金融・企業

江戸幕府が開かれた頃、カトリック対プロテスタントの争いが激しくなった事は、前回の投稿で紹介しましたが、イギリスに於いてはイギリス国教徒と清教徒(ピューリタン)が争っていました。  

ピューリタンとは、カルヴァン派のプロテスタントで、彼らは聖書をよりどころに、宗教的な偶像や物に対する執着を捨て、ただ神を信じる人だけの集まりのみを究極的な価値とする人達で、イギリス国教に反対していました。  少しややこしいのですが、イギリス国教会から分離する派と、イギリス国教会内部から改革しようとする派がありました。

エリザベス1世は、イギリス国教を推進していましたが、1603年に亡くなり、その後のジェームズ1世とチャールズ1世は、ピューリタンに弾圧を加えたので、国王軍(イギリス国教)と議会軍(ピューリタン)の間に戦争が起こり、ピューリタンが革命に成功し、国王が処刑された清教徒革命(1642−1649年)は有名です。

ディズニーの映画で有名になった「ポカホンタス」も江戸幕府が開かれた頃の話です。

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2006/1/22

東アジアとヨーロッパ-9  国際政治・金融・企業

徳川家康が関が原の戦いを制し、1603年から江戸幕府が始まりますが、この頃ヨーロッパでは、カトリックとプロテスタントの争いが激化した時代でありました。

1608年にプロテスタント諸侯が「ウニオン」(連合)を、1609年にはカトリック諸侯が「リーガ」(連盟)を結成し、一触即発の時期にありましたが、1615年にボヘミアの首都プラハで、とんでもない事件が起こり、「30年戦争」が勃発してしまいました。 

その事件とは、フェルディナントが新しいボヘミア王位継承者に選ばれるや、プロテスタントを弾圧し、それに対しプロテスタントの代表が、プラハの宮殿の一室で、皇帝顧問官にその弾圧政策を抗議していた際、興奮しすぎて、顧問官を窓から放り出してしまったのです。


一般に、「30年戦争」(1618−1648年)は、カトリック対プロテスタントの争いと見られがちですが、この宗教戦争を利用して、ハプスブルグ帝国が全ヨーロッパでの覇権を確立しようとするのに対し、他のヨーロッパ諸国が、それを阻止するとともに、ヨーロッパでの政治の主導権を奪おうとしたものです。

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2006/1/21

東アジアとヨーロッパ-8  国際政治・金融・企業

筋金入りのカトリックであるイエズス会の宣教師たちですが、布教もさることながら、日本や中国を征服するための諜報活動や、工作活動も忘れてはいませんでした。 

ここで、注意をしておかねばならないのは、カトリックも決して一枚岩ではなく、イエズス会、フランチェスコ会、ドミニコ会、アウグスティヌス会で、主導権争いが行われていた事です。 

まず、宣教師たちは、南蛮貿易、武器製造ノウハウ、女、などを利用し、大名達を買収してゆきました。 伊達政宗はフランチェスコ会がバックにつき、一般にキリシタン大名と呼ばれる人たちはイエズス会がバックにつきました。 伊達政宗の場合、ヨーロッパ人の愛妾を持っていたのは有名な話です。

イエズス会の宣教師達は、有馬、大友、小西などのキリシタン大名と結託して、日本に足がかりとなる基地をつくり、その基地を次第に拡大してゆきました。
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2006/1/21

東アジアとヨーロッパ-7  国際政治・金融・企業

ハプスブルグ家のカール5世の子供のフィリップ2世がスペイン国王となり、カール5世の弟フェルディナントが神聖ローマ皇帝の位を受け継ぎ、「太陽の沈まぬ帝国」ハプスブルグ家は、フェルディナントのオーストリア系と、フィリップ2世のスペイン系に分かれました。

フィリップ2世は、1557年にアンリ2世のフランスを撃滅、1571年にはレバントの海戦でトルコ軍を壊滅させ、破竹の勢いで、1580年にはポルトガルの王位も継承しました。

日本では、1573年に室町幕府が滅び、織田信長、豊臣秀吉の安土桃山時代(1573−1600年)の話で、日本との関係もポルトガルからスペインに移ってゆきます。 織田信長が本能寺で暗殺されたのは、1583年です。

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2006/1/19

東アジアとヨーロッパ-6  国際政治・金融・企業

鉄砲伝来(1543年)から6年後に、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しました。

当時のヨーロッパは、ルターやカルヴァンのプロテスタントの宗教改革の嵐が吹き荒れ、長い歴史に安住し、組織疲労からくる腐敗や権威が失墜していたカトリックのローマ教皇庁内部からも改革と再建の運動が起こっていた時代でした。

イエズス会は、イグナチオ・デ・ロヨラを中心にして7人の同志が、パリのモンマルトルの丘のディオニソス聖堂で貞潔、清貧、エルサレムへの巡礼もしくは世界への宣教という3つの誓願を立て(モンマルトルの誓い)、1534年にカトリックの修道・布教団体として結成されたものです。

ポルトガル国王ジョアン3世は、この新進気鋭の修道団体にみなぎる士気と行動力に注目し、イエズス会の創設に携わったフランシスコ・ザビエルをアジアに派遣します。 イエズス会は、創設当初から世界布教への熱意に燃えており、宣教師たちは、国家の利益を理解したうえで、イエスキリストの福音を胸に固い決心を自らに誓い、世界伝道の途に上がったイエズス会士達の胸中には、迷いはありませんでした。 
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2006/1/17

東アジアとヨーロッパ-5  国際政治・金融・企業

火薬は、中国で唐の時代に既につくられていましたが、14世紀のヨーロッパでもイギリスとドイツに火薬工場はあり、エリザベス1世の時代(16世紀)には、火薬製造は王室の専売事業とし、1650年代のイングランドの歳出の90%は軍事費に当てられていました。

周知の通り、ヨーロッパと東アジアの貿易でも、アジアには絹織物、陶器、漆製品、香料、お茶など魅力的な商品が多く、多くの輸出をしましたが、ヨーロッパは輸出するものがなく、当時東アジアで流通していた通貨は銀貨であった為、スペインが侵略した南米のポトシ銀山から銀を略奪し、その銀でアジアの商品を買い付けたり、イギリスにおいては暴力を用いたアヘン貿易で、アジアから物を買い付けていました。


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