2006/2/28
文化・思想の違い 宗教・思想・哲学・文学・芸術
日本には、イエスキリストやキリスト教に関する書物は数多くあり、最近では教会で結婚式を挙げる若者も増えてきました。 しかしながら、一神教を持たない日本人が、彼らの考え方を本当に理解するのは容易ではありません。
「結婚式での誓い」とカトリック教徒は「何故離婚してはいけないのか」を例にとり、考察してゆきたいと思います。

2006/2/27
大学入学試験 教育
2006/2/25
トルコ共和国 国際政治・金融・企業
第一次世界大戦で、ドイツ・オーストリア側についたオスマン帝国は、フランス・イギリス・ソ連・イタリアなどの連合軍に敗北し、セーヴル条約を結びました。 これにより、広大な領土を失う事になりました。
しかしながら、オスマン帝国にとってあまりに厳しい内容であった為、激しい抵抗もあり、新しくローザンヌ条約を結び直し、オスマン帝国は滅亡し、今日のトルコ共和国ができました。
ローザンヌはスイスのレマン湖沿いにある美しい街で、今ホットなオリンピックの連盟本部があるところです。
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/47.html
トルコ共和国の特徴は、憲法でイスラム教を国教とする条項を削除したことで、イスラム社会ではじめて、政教分離がなされた、近代国家であるという事です。 そうして、ようやく本当の近代化が進められ、現在では多くのヨーロッパ資本や、日本からの資本も投資され、急成長をとげている将来性豊かな国家となりました。
また、親日国家である事としても知られており、1890年に和歌山沖で遭難したオスマン帝国のエルトゥールル号の69名を、和歌山の人たちが救助した事を、いまだに覚えてくれており、フセインによる日本人イラク人質事件の時にも、猪木議員が日本人人質を救出したとき、国内外の航空会社には断られましたが、トルコの航空会社が飛行機を出してくれたと記憶しています。 また、ロシアを破ったり、アメリカと戦ったり、白人支配の世界に風穴を明け、科学技術や経済では彼らを凌ぎ、高い文明を持つ有色人種の日本人から元気づけられる物もあるのだと思います。

2006/2/25
オスマン帝国の破産 国際政治・金融・企業
イスラム教国家のオスマン帝国は、武力に秀でていたものの、経済音痴であり、国を強くする為の「富国強兵」のうち「富国」が抜けていた事が、日本の明治維新との大きな違いであると既に説明しました。
明治維新とセリムの改革-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/121.html
日本とオスマン帝国-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/122.html
日本とオスマン帝国-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/123.html
オスマン帝国は、1875年に破産してしまいますが、何が起こっていたのでしょうか?

2006/2/24
イスラム教 宗教・思想・哲学・文学・芸術
異教徒を人質にとり、身代金を奪い、イスラム教を信じない者の首をはねろ、しかし異教徒がイスラム教に改宗したなら、過去がどうあろうが、寛大に迎えよう。 とコーランに書いてあります。
イスラム教は、寛大であると多くの日本人が勘違いしているのが、この部分です。
罪のない、将来のある日本人青年も首をはねられ殺されましたが、これはイスラム原理主義者が特別なのではなく、イスラム教とはこうして暴力で勢力を伸ばしてきた宗教である事を、認識しておく必要があります。

2006/2/23
日本とオスマン帝国-2 国際政治・金融・企業
オスマン帝国は、軍事力を増強する為に、ヨーロッパ列強から武器を購入しましたが、外債による資金調達を繰り返しており、
関税までを担保にする外債への安易な依存は、のちのオスマン帝国の財政破綻をもたらし、西欧列強への経済的従属を余儀なくされる結果となってしまいました。

2006/2/23
日本とオスマン帝国-1 国際政治・金融・企業
同じように、西洋近代化を進めた日本と、オスマン帝国ですが、日本は国際連盟の常任理事国として、世界の5大国の一つとなり、第二次世界大戦では敗戦を経験した物の、その後は世界で第二位の経済大国になりましたが、一方のオスマン帝国は、坂道を転げるように転落してゆきました。
何が違ったのでしょうか?
それは、宗教への接し方、科学技術力、近代資本主義、国内の統一能力であったと思われます。

2006/2/20
明治維新とセリムの改革-1 国際政治・金融・企業
日本とイスラム社会は、時代的に似通った発展を遂げてきました。 聖徳太子とムハンマドはほぼ同時期に生まれ、アプローチの仕方は違いますが、国内を統一し、国家は安定し、順調に発展を遂げていきました。 そして、16世紀には、お互いに銃を世界で最も多く保有し、軍事力・経済力共に世界のトップクラスにありました。 日本は、織田信長、オスマン帝国では、第10代スレイマン1世の時代です。
オスマン帝国や、スペイン帝国に比べたら、日本の繁栄なんか?と考えがちな我々日本人ですが、当時の国家の富は保有する金や銀の量で計るブリオニズム(重金主義)が主流でしたので、
それを基準に考えると、スペインはアメリカ大陸から略奪した銀で、世界最大の銀の保有国として、「陽の沈む事のない」世界一の経済大国とされていました。
日本の場合は、国内の石見・大森銀山から産出した銀を、日明貿易や欧州諸国との貿易に使っており、この日本から国外に流出した銀と、アメリカからスペインに送られてくる銀の量がほぼ同じであったという事は、実は日本も世界に冠たる経済大国であったのです。
石見銀山 と ブリオリズム
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/817.html
しかしながら、日本では江戸時代には、国内勢力の力をそぐ為の、徳川の政策により、銃から刀に逆戻りし、軍事力は低下し、非合理的な文化が花開きました。 オスマン帝国も17世紀には衰退期を迎え始めます。 17世紀は、ヨーロッパの科学革命の時代で、科学技術力により、オスマン帝国とヨーロッパの軍事力が逆転した時期となりました。
それ故、日本は明治維新で、西洋から文明を取り入れ、近代化を図りましたが、明治維新より約100年前にオスマン帝国でも西洋化を始められました。 それは、フランス革命と同じ年の、1789年に即位したセリム3世から始められました。

2006/2/19
イスラム教の問題点-2 宗教・思想・哲学・文学・芸術
イスラム教の女性差別について考えていきたいと思います。
「男は女の保護者である。それは、アッラーが、男を女より強くして、自分の財産で、女を養うためである。女は従順に男の留守を守りる。女が不従順であったり、素行不良の場合は、これを諭し、それでも効果が無ければ、寝室に閉じ込め、それでも効果がなければ、たたきなさい。(女性への暴力を働いてもよい)。それで、言う事をきけば、それ以上はしてはならない。」 コーラン

2006/2/19
イスラム教の問題点-1 宗教・思想・哲学・文学・芸術