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2008/1/30

フリーメーソン-42  グラバーの艦船ビジネス-2  フリーメーソン

グラバーが本格的に艦船のビジネスにのりだすのは、1864年10月にジャーディン・マセソン商会から委託されて、鉄製スクリュー船カーセッジ号を幕府を通じて12万ドルで佐賀藩に売却してからであります。
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2008/1/29

フリーメーソン-41  グラバーの艦船ビジネス-1  フリーメーソン
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壬戌丸(原名ランスフィールド号) 全幅10m、全長76.6m、輸送船


グラバーは、日本茶の輸出と共に、はやくから艦船ビジネスに関心を持っており、1862年のはじめに、鉄製蒸気船ファイアリー・クロス号(447トン、300馬力)とランスフィールド号(449トン、300馬力)の姉妹船について、ジャーディン・マセソン商会に問い合わせをしています。

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2008/1/27

フリーメーソン-40  艦船の輸入  フリーメーソン
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第一丁卯 (原名ベンダー) 1867年英国製、1868年1月グラバーより長州藩が購入

1862年7月に、幕府は海防力強化の一環として、諸藩に外国艦船の購入を許可すると、幕府や各藩は競うように艦船を購入しようとしたので、日本は外国艦船のかっこうの販売市場となりました。


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2008/1/27

フリーメーソン-39  初期のグラバー商会  フリーメーソン

1861年5月に 「グラバー商会」 を設立すると、グラバーは中国人の商人や倉庫係など、12人を雇い入れ、日本茶を再製し、輸出を試みました。 

再製とは、お茶の輸出にあたり、途中でカビが発生しないように梱包する前に、再び火入れして十分に乾燥することです。
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2008/1/26

フリーメーソン-38  グラバー商会設立  フリーメーソン

1859年に来日し、マッケンジー商会で事務員として働いていたグラバーですが、マッケンジーが新たに開港された長江(揚子江)中流域の漢口で貿易取引に従事するために、長崎を離れることになり、1861年5月にグラバーは独立し、マッケンジーから代理店業務に関する仕事を引き継ぎました。

来日して2年で、グラバーは自己資金で取引する商人となり、ジャーディン・マセソン商会、デント商会、サッスーン商会という大商社の長崎代理店も兼ねる事となりました。
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2008/1/23

フリーメーソン-37  アーネスト・サトウ  フリーメーソン
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Ernest Mason Satow (1843-1929)

アーネスト・メーソン・サトウは、ミドルネームのメーソンが表しているように、正真正銘の石工の家系です。 彼はイギリスの外交官で、駐日領総事ラザフォード・オールコックや駐日公使ハリー・パークスの下で活躍し、明治維新に大きな貢献をした人物です。

それは、22歳のサトウが「ジャパンタイムズ」に書いた「English Policy(英国策論)」に、 「徳川幕府を倒し、天皇と大名連合体が日本を支配しなければならない」 とあり、徳川が約束した兵庫開港の期日が遅れるようなことがあれば、 「イギリス政府は強制と流血に訴えると」 したもので、この期日が2年後の1868年元旦であり、明治維新の年でした。

この「英国策論」の翻訳が出回り、徳川についていた大名たちは浮き足立ち、維新勢力は勢いづき、明治維新という革命は成し遂げられ、1868年に明治新政府が発足しています。

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2008/1/21

フリーメーソン-36  フェリックス・ベアト  フリーメーソン
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Felix Beato(1833-1907)

我々が意識せずに見る、幕末から明治にかけての重要な写真のほとんどが、フリーメーソンで、ヴェネチア生まれのイタリア人、フェリックス・ベアトが撮ったものと言っても過言ではありません。

彼は、クリミア戦争、インドのセポイの反乱、アヘン戦争の中国、幕末から明治維新にかけての日本、というようにタイミングよく世界の事件をスクープしています。 これはフリーメーソンの人的ネットワークにより、次にどこで何が起こっているか分かっていたからであり、各国の情勢を正しく把握していないとできないものであり、偶然ではあり得ません。

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2008/1/20

フリーメーソン-35  尊皇攘夷  フリーメーソン
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フリーメーソンの正装であるエプロン


ペリーの恫喝外交により、「日米和親条約」が結ばれたのが1854年3月3日、これを突破口に、アメリカ、イギリス、オランダ、フランス、ロシアは次々と幕府に不平等な通商条約を突きつけ、1858年に「安政の5ケ国条約」と呼ばれる友好通商条約が締結されました。

この幕府の弱腰外交に対して、尊皇攘夷の運動が起こり、攘夷テロの嵐が吹き荒れ、あちこちで外国人が斬り殺されました。 この無差別テロに怒った外国人たちは、軍服の上にフリーメーソンの正装であるエプロンをつけ、モーツアルトの「フリーメーソンのための葬送曲」を奏でながら、盛大な葬儀を示威行為として敢行。

往来の人々は、そのあまりの異様さに驚き、あわてて家に引っ込み、雨戸を閉めたのでした。 

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2008/1/19

フリーメーソン-34  グラバー来日  フリーメーソン
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若き日のグラバーと当時の長崎


グラバーは、19歳の時にビジネスチャンスを求めて上海に行き、ジャーディン・マセソン商会に入社、そして幕末の動乱の日本に興味を持ち、1859年(安政6年)9月19日に長崎に到着、21歳の時でした。


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2008/1/18

フリーメーソン-33  グラバーの誕生  フリーメーソン
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Thomas Blake Glover (1838 - 1911)

グラバーは、スコットランドの寒村フレイザーバラで沿岸警備隊の1等航海士トーマス・ベリー・グラバー(Thomas Berry Glover)とメアリー(Mary)の間に8人兄弟姉妹の5番目として生まれ、11歳の時さほど遠くない港町アバディーンに移り住みました。


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