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2008/6/26

フリーメーソン-115  マッカーサー将軍  フリーメーソン
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Douglas MacArthur ( 1880 - 1964 )


1945年8月15日、ポツダム宣言受諾から2週間後の8月30日、日本の運命を握る、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立ちました。


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2008/6/24

フリーメーソン-114  東京裁判  フリーメーソン
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東京の市ケ谷陸軍士官学校を改造してつくられた裁判所、東京裁判の様子


東京裁判の正式名称は、 「 極東国際軍事裁判 」 といい、1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)までの2年間開かれたもので、東京で行われたので東京裁判とも言われます。

日本の断罪は、1931年(昭和6年)に勃発した満州事変に遡り、満州事変から、大東亜戦争にいたる一連の日本の行為を連合国側は侵略とみなし、後からつくった法律により、「人道に対する罪」 「平和に対する罪」で、A級戦犯とされた被告たちは、後からつくられた法律によって裁かれました。  


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2008/6/21

フリーメーソン-113  ポツダム宣言受諾  フリーメーソン
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1945年9月2日 ミズリー号艦上の降伏調印式で調印する 重光葵(しげみつ まもる)外相 


1945年(昭和20年)7月26日にポツダム会談で採択された、アメリカ合衆国・イギリス・中華民国から大日本帝国への13条からなる降伏勧告をポツダム宣言と呼びますが、8月8日にソビエト連邦が参加して、4ケ国の宣言となり、「米英支ソ四国共同宣言」とも呼ばれます。

広島と長崎に原爆を落とされた日本は、同年8月14日に受諾し、9月2日に東京湾内に停泊する米艦船ミズリー号の甲板で、昭和天皇・政府全権の重光葵外相と、大本営全権梅津美治郎が、連合国への降伏文書に調印し、ここに第二次世界大戦は終わりを告げました。

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2008/6/20

フリーメーソン-112  ヤルタ会談  フリーメーソン
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ヤルタ会談での、チャーチル首相、ルーズベルト大統領、スターリン首相


1945年2月4日〜11日、ソ連クリミア半島のヤルタ近郊のリバディア宮殿で、フランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、ヨシフ・スターリン・ソ連首相が出席し、第2次世界大戦の戦後処理について、連合国首脳会議が開催されました。  この会議は、ヤルタ会談と呼ばれますが、同時にこの3名でヤルタ協定と呼ばれる、私的な密約が結ばれました。 この密約は、ドイツが降伏後に、日ソ中立条約を破り、日本に宣戦布告し、日本固有の領土であった、南樺太と、歯舞諸島、色丹島、択捉島、国後島の千島四島を、ソ連に引き渡すというもので、今日の北方領土問題となっています。

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2008/6/18

フリーメーソン-111  原爆投下  フリーメーソン
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長崎に投下された原爆


Holland Lodge No.8, New York に所属していたフリーメーソン、フランクリン・D・ルーズベルトのマンハッタン計画によって原子爆弾の開発が進められ、Belton Lodge No.450, Belton Missouri に所属していたフリーメーソン、ハリー・S・トルーマンの指示によって、昭和20年(1945年)8月6日と9日に、原子爆弾は広島と長崎に投下されました。


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2008/6/15

フリーメーソン-110  ブレトン・ウッズ体制  フリーメーソン
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ニューハンプシャー州にある町キャロルの一地区のブレトン・ウッズにある、マウント・ワシントン・ホテル


第二次世界大戦の末期、まだ戦争が終わっていない段階の1944年7月に、戦後の国際通貨体制に関する、ブレトン・ウッズ会議が、ニューハンプシャー州北部のリゾート地であるブレトン・ウッズのマウント・ワシントン・ホテルで開かれました。 英国代表は経済学者のジョン・メイナード・ケインズ、米国代表はハル・ノートの作成者、財務次官のハリー・デクスター・ホワイトです。

この会議で、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)の設立が決定されましたが、これらの組織を中心とする体制を、ブレトン・ウッズ体制といいます。

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2008/6/14

フリーメーソン-109  コンゴウラン  フリーメーソン
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手首を切断されたコンゴの少年


第二次世界大戦中、アメリカと日本で原爆の開発競争が繰り広げられている中、アメリカの原子爆弾開発マンハッタン計画では、そのウランの調達は、アフリカのベルギー領コンゴ、カナダのグレートベア鉱山、アメリカのコロラド州カルノー鉱山で行われましたが、広島に落とされた原爆に使われたウランはコンゴ製です。

そして、ベルギー領であったコンゴでは、ベルギー国王レオポルト2世の経営する無数の大規模ゴム農園で、黒人が凄まじい奴隷労働を強制されました。 この奴隷農園を経営していたのが、ロスチャイルド一族とその盟友・銀行ソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックであります。


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2008/6/13

フリーメーソン-108  日本の原爆開発  フリーメーソン
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仁科芳雄 博士 (1890-1951)


1942年6月、フリーメーソンのフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、国家プロジェクトとして、原子爆弾の研究開発着手を決意し、1942年9月にレズリー・リチャード・グローヴス准将が責任者として着任し、マンハッタン計画はスタートしましたが、

日本では1941年(昭和16年)に、陸軍が理化学研究所に原子爆弾開発を委託し、1943年1月に同研究所の仁科博士を中心に開始されました。    もう一方で、日本海軍も1941年5月に京都帝国大学理学部教授の荒勝文策に、原子核反応による爆弾の開発を依頼し、1942年には核物理応用研究委員会を設けて、京都帝国大学と共同で原子爆弾の可能性の検討に入りました。

すなわち、日米共に、ほぼ同時期に原子爆弾の開発プロジェクトをスタートさせた事になります。


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2008/6/8

フリーメーソン-107  ジョンズ・ホプキンス大学  フリーメーソン

あまり日本では知られておりませんが、メリーランド州ボルチモアにある、ジョンズ・ホプキンス大学は、医学の分野で、ハーバード大学と双璧をなす名門校であります。 

心理学や哲学の分野では、フロイトを輩出したウィーン大学や、デリー大学の哲学科が世界の超一流とされていますが、ジョンズ・ホプキンス大学の心理学研究も世界に知られており、「麻薬によって人間をロボット化する研究」、「電磁波を使って人間の脳をコントロールする研究」、「核兵器の恐怖により人間を支配する研究」 などが有名です。

また第二次世界大戦では、「日本人の戦意を喪失させる研究」 を行い、東京大空襲・広島長崎への原爆投下の計画は、ジョンズ・ホプキンス大学で練られたもので、これは 「一般市民が、どの位、大量虐殺されれば、その国の国民、軍部が戦意を失うか」 という心理戦争の効果を実験・検証するもので、この作戦は 「プルデンシャル一般大衆爆撃」 と命名され、作戦の指揮をとっていたのは、ルーズベルト大統領直属の「心理戦争局」の局長エイブリル・ハリマン(ハリマン銀行社長)であります。
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2008/6/6

フリーメーソン-106  オレンジ計画  フリーメーソン

日清戦争のわずか2年後である1897年に、アメリカは日本を仮想敵国として、対日戦略プログラム 「 オレンジ計画 」 を策定し、日本はまさしくこのシナリオ通りに開戦に追い詰められ、大敗を帰しました。

この 「 オレンジ計画 」 を最初に策定したのは、アメリカ第25代大統領のウィリアム・マッキンレーです。 彼はフリーメーソンで、そのロッジはHiram Lodge No. 21, Winchester、その後Ohio州のCanton Lodge No. 60、同じくCantonのEagle Lodge No. 431に所属し、彼が亡くなった1901年には、ロッジの名前はWilliam McKinley Lodgeとなっています。
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