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2008/7/6

フリーメーソン-125  七夕の起源  フリーメーソン
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明日は七夕ですが、その起源はシュメール文明のギルガメッシュ叙事詩にまで遡ることができ、河をはさんで男女が1年に1回、7月7日に会えるという恋愛物語であります。

「 ユーフラテス河の左右に分かれ敵同士だったウルク城の姫がラガッシュ城の王子と年1回だけの逢う瀬を、密かに7を重ねた奇跡の日だけに長く延びる青竹につかまって、双方より渡り、川の中州で逢って寄り添った。 」


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2008/7/6

フリーメーソン-124  日本とフリーメーソン-8  フリーメーソン

日清戦争のわずか2年後である1897年に、アメリカは日本を仮想敵国として、対日戦略プログラム 「 オレンジ計画 」 を策定し、日本はまさしくこのシナリオ通りに開戦に追い詰められ、大敗を帰しました。

この 「 オレンジ計画 」 を最初に策定したのは、アメリカ第25代大統領のウィリアム・マッキンレーです。 彼はフリーメーソンで、そのロッジはHiram Lodge No. 21, Winchester、その後Ohio州のCanton Lodge No. 60、同じくCantonのEagle Lodge No. 431に所属し、彼が亡くなった1901年には、ロッジの名前はWilliam McKinley Lodgeとなっています。

そして、その 「 オレンジ計画 」 を引き継ぎ、推進させていったのが、なんとテディベアでも有名で、優しく、親日家のセオドア・ルーズベルトJr.であります。  セオドア・ルーズベルトJr.もまた、フリーメーソンでありました。


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2008/7/6

フリーメーソン-123  日本とフリーメーソン-7  フリーメーソン

坂本龍馬が暗殺され、イギリス政府、ロスチャイルド、ジャーディン・マセソン商会、グラバー商会、及び薩長の思惑通り、日本は戊辰戦争という内戦を迎え、明治新政府が樹立されました。  

三井と住友は江戸時代からあった老舗の財閥でありますが、三菱は明治維新以降に出来た財閥で、政府要人や軍部と癒着し、急成長を遂げるようになります。 

三菱の創始者、岩崎弥太郎がチャンスをつかむのは、同郷の坂本龍馬が暗殺されてからで、後藤象二郎が「海援隊」 を自分のものとし、「土佐商会」 と改名し、その主任として岩崎を雇いましたが、後に岩崎が譲り受ける事になります。 

特に龍馬から受け継いだ海運事業や武器取引は、後に西南戦争、日清戦争、日露戦争で、三菱のドル箱事業となってゆく事になり、坂本龍馬が暗殺されて、最も得をしたのは、同じ土佐藩の岩崎弥太郎であります。

すなわち、坂本龍馬がいなかったら、三菱財閥はなかったと言えます。

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2008/7/6

フリーメーソン-122  日本とフリーメーソン-6  フリーメーソン

坂本龍馬は、幕末混乱期に彗星のごとく現れ、犬猿の仲であった長州藩と薩摩藩を同盟関係に導き、商社の亀山社中(後の海援隊)を設立し、欧米製の武器を維新軍に提供し、明治維新を成功させた功労者でありますが、その背後には常にフリーメーソンのグラバーの影がつきまとっていました。

脱藩浪人の身分であった坂本龍馬が、何故に徳川、また長州、薩摩の大名クラスと、話をする事が出来たのか? さらに、脱藩浪人の身分の龍馬に、仲良くしなさいと言われて、薩長の大名が、 「 はいそうですか 」 となるほど、江戸時代の封建制度は甘くありません。

それは、徳川、薩長ともにヨーロッパからの武器を求めていて、坂本龍馬がその武器を扱う商社の亀山社中(後の海援隊)から、彼らに武器を売っていたからであり、その背後にはイギリス政府、ロスチャイルド、ジャーディン・マセソン商会、グラバー商会がありました。

それでは、何故グラバーは直接薩長と武器取引をしなかったのか? それは、ダミー会社として、坂本龍馬の亀山社中(後の海援隊)を使う必要があったからで、彼が暗殺された背景にも、この武器取引に関してのトラブルがあったからなのです。 これについては、今から説明してゆきたいと思います。

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