2009/4/29
ローマ帝国の物語-16 王政ローマまとめ ローマ帝国の物語
王政ローマのまとめをしたいと思います。 次に示すのは、王政ローマ時代の王と、在位期間,そして投稿してきた記事です。
1. ロムルス(Romulus) BC753 - BC715 ← ローマの名の由来
2. ヌマ・ポンピリウス(Numa Pompilius) BC715 - BC673
3. トゥルス・ホスティリウス (Tullus Hostilius) BC673 - BC641
4. アンクス・マルキウス (Ancus Marcius) BC641 - BC616
5. タルクィニウス・プリスクス (Lucius Tarquinius Priscus) BC615 - BC579
6. セルヴィス・トゥッリウス (Servius Tullius) BC579 - BC534
7. タルクィニウス・スペルブス (Lucius Tarquinius Superbus) BC534 - BC509

2009/4/28
ローマ帝国の物語-15 第七代王 タルクィニウス・スペルブス ローマ帝国の物語

王政ローマ 第七代王
ルキウス・タルクィニウス・スペルブス(Lucius Tarquinius Superbus:BC535-BC510)
義理の父である、第六代王 セルヴィス・トゥリウスを暗殺して、王位に就いたタルクィニウス・スペルブス王は、先王セルヴィスの葬儀を禁じ、先王派と見られていた元老院議員たちを殺しました。
武装していた護衛に囲まれていないと外にも出なかった彼は、市民集会での選出も元老院での承認もなく王位に就き、市民集会に賛否を問うこともせず、市民たちは陰で、「尊大なタルクィニウス」と彼のことを呼びました。

2009/4/28
ローマ帝国の物語-14 第六代王 セルヴィス・トゥリウス ローマ帝国の物語

セルヴィスの城壁 (オレンジの線)
六代目のローマ王となったセルヴィス・トゥリウス(BC578-BC535)は、先代の王タルクィニウス・プリスコがはじめた事業の完成をまず考えました。 湿地帯の干拓事業とユピテル神殿の建立は既に終わっていたので、彼にはローマ全体を守る城壁完成の事業が残されていました。 これは2500年経った今でも、「セルヴィスの城壁」と呼ばれ、現代のローマにもところどころ残っているもので、ローマの七つの丘すべてを囲い込む大規模なものであります。 セルヴィスによって完成した城壁に守られ、また軍事上の成功も積み重なり、この頃ではローマは、周辺の部族の中でも、抜きんでた存在になっていました。

2009/4/25
ローマ帝国の物語-13 第五代王タルクィニウス・プリスコ ローマ帝国の物語

王政ローマ第五代王
ルキウス・タルクィニウス・プリスコ( Lucius Tarqinius Priscus : BC616-579 )
アンクスが王位にあった時代のローマに、牛に引かせた荷車を何台も連ねた異邦人の一家が入ってきましたが、この人々の華麗な装いと、長く伸ばした髪から、彼らがエトルリア人であることは誰にも分かりました。

2009/4/24
ローマ帝国の物語-12 第四代王アンクス・マルキウス ローマ帝国の物語

王政ローマ第四代王
アンクス・マルキウス( Ancus Marcius : BC642 - BC617 )
トゥルスの没後に選出されたローマ四代目の王は、アンクス・マルキウスというサビニ族出身者で、第ニ第王ヌマの娘を母として、ローマで生まれ育ち、ヌマ同様に、彼も平和的な王になると人々は思っていましたが、時代はそれをアンクスには許しませんでした。
四代目の王アンクスは、25年に及んだ治世の間に、戦闘以外にもいくつかの事業を行いました。 第一はテヴェレ河に初めて橋をかけた事、第二にはテヴェレの河口にあるオスティアを征服したことで、これによりローマは初めて地中海と向かい合うことになり、オスティア周辺の砂浜では塩が生産されていたので、塩田事業も手中に収め、物々交換であった当時のローマでは、塩を持つことは通貨を持つことと同じでありました。
ローマから発する街道のうち、最も古い街道の一つは、ヴィア・サラリーヤと呼ばれる道で、直訳すれば塩の道となり、テヴェレの河口付近で生産する塩を、内陸部の各都市に運ぶ街道となりました。

2009/4/23
ローマ帝国の物語-11 第三代王トゥルス・ホスティリウス ローマ帝国の物語

■ ホラテウス兄弟の誓い ( The Oath of the Horatii ) 1784
ジャック・ルイ・ダヴィッド ( Jacques-Louis David : 1748-1825 )
│Oil on canvas│330 x 425 cm│Musee du Louvre, Paris│
ヌマの後を受けて王に選出されたのは、トゥルス・ホスティリウス(BC673-641)でした。 ロムルスと同様、ラテン系のローマ人だった彼は、ロムルスに似て攻撃的な男で、そして、この男に率いられたローマも、ヌマによる内部充実の時期を経て、外部への発展の機にありました。
王トゥルスは、ラテン人発祥の地かつローマ人の祖先の地でもあるアルバを攻撃の第一目標としますが、開戦の理由を見つけるのは簡単で、両国の国境近くに住む農民たちの間で争いが起こり、それによって生じた略奪行為の弁償をアルバ側が拒否したことが開戦の理由となりました。
しかし、アルバも80年の歴史しか持たないローマに比べれば、400年の歴史を持つ大国で、簡単に勝てる相手ではありません。 トゥルスは、強大なエトルリアがすぐ近くに存在するのに無用な出血は両国の為にならないとし、代表者同士の決闘という形での勝負を提案する事になります。

2009/4/21
ローマ帝国の物語-10 第二代王ヌマ・ポンピリウス王 ローマ帝国の物語

王政ローマ第二代王
ヌマ・ポンピリウス ( Numa Pompilius : BC715-673 )
ローマの初代王である、ロムルス王(BC753年-BC715年)が亡くなり、次の王が選ばれることになりましたが、ロムルスは誰かに暗殺されたという噂が飛び交い、誰が王に当選しても疑惑を生みそうな状況となっていました。 ロムルスには息子がいましたが、彼を王にするという発想は当時のローマ市民にはなく、市民が選んだのは賢者として知られるサビニ人のヌマ・ポンピリウスで、ラテン派とサビニ派の対立でこう着状態にあったローマの元老院も満場一致でヌマを王に推しました。
しかしながら、既に40歳を達していたヌマは拒絶しますが、再三の説得に屈しました。

2009/4/20
ローマ帝国の物語-9 ロムルスの死 ローマ帝国の物語
統治も39年目を迎えた紀元前715年、ロムルスはいつものように軍隊の閲兵をしていましたが、突然に目の前も見えないほどの大雨が降り、雷鳴が鳴り響きました。 ようやく、雨も雷も去った後、兵たちが玉座を見ると、王の姿はどこにもなく、人々は天に召されたのだと信じました。
ロムルスの業績を認めることでは、誰も異存はなかったので、突然の不幸に動揺しながらも、ロムルスをローマ国家の父とし、神として祭ることを決めたのです。
ローマ帝国の物語-1 トロイの木馬
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/858.html
ローマ帝国の物語-2 アイネイアスの放浪
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/859.html
ローマ帝国の物語-3 エトルリア
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/860.html
ローマ帝国の物語-4 アルバ・ロンガ王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/861.html
ローマ帝国の物語-5 ロムルスとレムス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/862.html
ローマ帝国の物語-6 ローマ建国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/864.html
ローマ帝国の物語-7 ロムルス王の国政
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/865.html
ローマ帝国の物語-8 略奪されたサビニの女たち
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/866.html

2009/4/20
歌姫スーザンボイル 女性を考える

Susan Boyle (スーザン・ボイル) 47歳 無職
現代のシンデレラストーリー、まるで映画のワンシーンを見ているような、歌姫スーザンボイルのオーディションをお楽しみ下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=vMVHlPeqTEg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=jlDbPpixCns&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fuyNlzbn3cM&feature=related

2009/4/17
ローマ帝国の物語-8 略奪されたサビニの女たち ローマ帝国の物語

■ サビニの女たちの略奪(Enlévement des Sabines) ニコラ・プッサン 1634-38年
|154.6×209.9cm | 油彩・画布 | メトロポリタン美術館|
左上で赤の衣をまとっているのがロムルス
18歳のロムルスと、彼についてきた3000人のラテン人によって建国されたローマでありますが、誕生直後のローマ市民の大部分は独り身の男たちで、ロムルスが政体確立に続いて行った事業は、他民族の女たちを強奪することでありました。
