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2009/9/13

ローマ帝国の物語-91  新都コンスタンティノポリス  ローマ帝国の物語
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アヤソフィア大聖堂


アヤソフィアは、トルコのイスタンブールにある博物館。 東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に東方正教会の大聖堂として建設され、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地で、東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価されます。 その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用されました。



 

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2009/9/12

ローマ帝国の物語-90  コンスタンティヌスのローマ統一  ローマ帝国の物語
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「コンスタンティヌスの凱旋門」 
マクセンティウスとの戦いに勝利して315年に建造


312年、マクセンティウスを打ち破り、ローマに入城したコンスタンティヌスは、元老院と市民たちから拍手を持って迎えられ、名実ともに西ローマ帝国の皇帝となり、「我こそが第一正帝なり」と表明しました。
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2009/9/12

ローマ帝国の物語-89 ディオクレティアヌスの退位  ローマ帝国の物語
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ディオクレティアヌスの離宮


健康を害したディオクレティアヌスは、305年に退位し、アドリア海に面したサロナで隠居生活を始めました。
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2009/9/10

ローマ帝国の物語-88  ローマ帝国の4分割統治  ローマ帝国の物語

ディオクレティアヌスは、いかに皇帝に権力を集中させても、広大なローマ帝国を一人で統治するのは不可能と考え、ローマ帝国を東西に分け、自らを東ローマの統治者に、僚友マクシミアヌスを西ローマの皇帝に任命し、コンスタンティウス、ガレリウスの2人を副帝に任命し、それぞれの正帝を補佐させるという「4分割統治」を行いました。
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2009/9/6

ローマ帝国の物語-87  ディオクレティアヌスのキリスト教迫害  ローマ帝国の物語

皇帝となったディオクレティアヌスは、軍人皇帝時代に情けなくなってしまった皇帝の権威と権力を強化しようと考え、ローマ帝国の政治のやり方を大きく変えました。 彼が取った政治体制は、専制君主制(ドミナトゥス)と呼ばれるもので、ペルシア風の皇帝を目指したやり方で、元老院を尊重するのをやめ、共和制の形を捨て去り、自分のことを「主にして神」と呼ばせ、会議の時には顧問官たちを立たせたままで座るのを許しませんでした。

これに反発したのが、キリスト教信者たちです。

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2009/9/5

ローマ帝国の物語-86  ディオクレティアヌスの帝国再建  ローマ帝国の物語
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ローマ皇帝 ディオクレティアヌス( 在位284-305 )


50年にも渡る軍人皇帝の時代を終結させ、疲弊しきったローマ帝国を立て直したのは、解放奴隷の子の、ディオクレティアヌスであります。 

彼の父は、アナリヌスという元老院議員の奴隷でしたが、奴隷と言っても肉体労働をする奴隷ではなく、主人の秘書の役目を果たしていました。 彼の父は大変、有能であったため、ほどなく奴隷から解放され、ローマでは解放奴隷の子は、一般市民と同じ権利を持つと定められてはいましたが、当然現実は偏見を受けており、軍人となったディオクレティアヌスも軍の中では様々な苦労があったようですが、彼にはあふれんばかりの才能があり、モエシア属州の総督、コンスル、親衛隊長といった要職を歴任し、ペルシアとの戦いではめざましい業績を上げ、それが前帝のヌメリアヌスの目にとまり、ディオクレティアヌスは皇帝に推挙させる事になります。 
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2009/9/5

ローマ帝国の物語-85  3世紀の危機  ローマ帝国の物語

第24代ローマ皇帝セウェルスが暗殺されてから、ローマ帝国は軍人皇帝の時代を迎えますが、この時期は歴史上「3世紀の危機」と呼ばれ、ローマ帝国は存亡の危機に直面し、

セウェルスが暗殺された225年から、ローマ帝国を4分割する決断を下したディオクレティアヌスが即位した284年までの50年間に、18人もの皇帝が就任すると言う極めて不安定な状況を迎えました。


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