renaissancejapn@aol.com

2009/10/31

マキアヴェリ  -17  政治理論  マキアヴェリ 

マキャヴェッリはメディチ家に政策を提言するために『君主論』[1] を著した。『君主論』はメディチ家の人間(ロレンツォ・デ・メディチ)に献上された本であり、そこには君主たるものがいかにして権力を維持し、政治を安定させるか、という政治手法が書き記されている。

そのなかで彼はチェーザレ・ボルジアを例に取りイタリア半島の統一を実現しうるのはいかなる君主かを論じている。そこにはマキャヴェッリが見てきたイタリアの現実が反映されている。マキャヴェッリ「私は我が魂よりも、我が祖国を愛する」と語っている。

彼の理論は「フォルトゥーナ」(伊: fortuna, 運命)と「ヴィルトゥ」(virtù, 技量)という概念を用い、君主にはフォルトゥーナを引き寄せるだけのヴィルトゥが必要であると述べた。『リウィウス論』では古代ローマ史を例にとり偉大な国家を形成するための数々の原則が打ち立てられている。全てにおいて目的と手段の分離を説いていることが著作当時おいて新たな点であった。

彼は元々共和主義者であったが、スペインとフランスがイタリアを舞台にして戦う「イタリア戦争」に衝撃を受けた。そこには、彼が体験した挫折感と、独立を願って止まない情熱が存在していたからこそ、『君主論』が生まれたのだと言える。

                                   - Wikipedia -
続きを読む
0

2009/10/30

マキアヴェリ  -16  君主論 メディチ家への手紙  マキアヴェリ 

英邁なるロレンツォ・デ・メディチ殿に、ニッコロ・マキアヴェリが捧げまつる、


およそ君主のご恩顧にあずかろうと望む人であれば、自分が大切にしている持ち物なり、ご嘉納いただける品を持参して伺うのが、おおかたの習わしかと思います。  献上の品にしましても、名馬や鎧兜、錦織、宝石、装身具など、君のご威光にかなうものを差し上げますのを、たびたびこの目で見てきました。  そこで、私としましても、何か殿への忠誠の証をたずさへて、お目にかかりたいと願っておりました。  しかし大切なものとか、それらしい宝といいましても、小生の財産には、偉大な人々の行いを知り学びましたこと、それしかめぼしいものはございません。  これは、近来の出来事に多年関わって経験をつみました事、それに古代の事柄について平素かかさぬ読者から知りえた事に他なりません。  しかも英傑についての知識は、長い時間をかけて思い巡らせ、細心の注意を払って解き明かしたもので、やっと近頃一冊の小さな書物にまとめる事が出来ました。 殿下には、是非これを差し上げたいと存じます。
続きを読む
4

2009/10/28

マキアヴェリ  -15  マキアヴェリ挫折  マキアヴェリ 

「君主論」を執筆したマキアヴェリでしたが、運命の女神はマキアヴェリに微笑んだわけではありませんでした。  新教皇の後押しで、エミリア征服に乗り出すかに思えたジュリアーノの計画は、たんなるマキアヴェリの夢で終わってしまいます。







--------------------------------------------------------------------------








続きを読む
2

2009/10/25

マキアヴェリ  -14  君主論の執筆  マキアヴェリ 

たまたまこの頃、ある情報がローマ駐在大使の友人ヴェットーリから入ります。 教皇レオ10世が弟ジュリアーノ(大ロレンツェの子)を支援して、エミリア地方、ことにパルマやピアチェンツァに、新たな国を興すとかいうものでした。 この連絡を受けて、マキアヴェリは、かつてのチェーザレ・ボルジアの故事がかすめ、もしこの計画が具体化すれば、官僚としての経験がいき、手腕を再び買ってもらえるかも知れないと思いました。  
続きを読む
1

2009/10/25

マキアヴェリ  -13  マキアヴェリの山篭り  マキアヴェリ 

失意の彼は、その後近郊のサンタンドレーアの父の山荘に引きこもります。  両親はすでに亡く、家庭には無教養ですが家族思いの妻マリエッタ・コルシーニと10歳にも満たない子供たちがいました。 
続きを読む
1

2009/10/24

マキアヴェリ  -12  マキアヴェリ逮捕  マキアヴェリ 

マキアヴェリは、1年間フィレンツェ領内での拘束処分を受けますが、悪いことは重なり、翌1513年の早春、一つの事件に連座し、反メディチ派の陰謀が発覚し、巻き添えを喰うことになます。  陰謀の首謀者が、将来味方になりそうな人物を物色して、マキアヴェリの名前をメモに残した事から生じ、バルジェッロ(公安局)と呼ばれる庁舎の牢獄にぶち込まれ、拷問も受けました。  明らかな冤罪ではあるものの、釈放は2週間後の事です。
続きを読む
1

2009/10/22

危険な状況にある日米同盟  国際政治・金融・企業

軍拡を続け、日本の安全を脅かす中国と北朝鮮に対して、日本国民をどう守ってゆくのか、全く脳天気なアホの民主党と、それを支持するアホ国民。 アメリカ側の意見が正論であります。  中国は、日本から巨額のODAを受けておきながら、2メガトンの核弾頭を日本に照準を合わせ、射程距離2700キロから3500キロの「東風3号」を24基配置し、日本の主要都市に向けています。 


日英同盟から学ぶ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/146.html
NATO60周年 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/850.html
団塊世代と左翼思想
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/188.html
フリーメーソン-75  カールマルクス  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/668.html
韓国、日本全土を照準に入れた巡航ミサイルを配備
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/563.html
ドレミで学ぶ民主党
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/959.html


続きを読む
2

2009/10/19

マキアヴェリ  -11  解雇されたマキアヴェリ  マキアヴェリ 

マキアヴェリの分析によれば、チェーザレの野望が潰(つい)えたのは、父の教皇アレクサンデルの急死と、新教皇選出時の対応のまずさが原因としています。
続きを読む
3

2009/10/17

マキアヴェリ  -10  ラミーロ・デ・ロルカの処刑  マキアヴェリ 

1502年の冬のある日、一つの惨劇がチェゼーナの町の広場で起きました。 処刑された男の名は、ラミーロ・デ・ロルカ。  彼はこれまでの征服に数々の功績をたて、この地方の長官に任じられていた、チェーザレ・ボルジアの指折りの側近でありました。
続きを読む
2

2009/10/17

マキアヴェリ  -9  ヴァレンティーノ公との出会い  マキアヴェリ 

1500年、マキアヴェリは就任後まもなく、ピサ戦線の視察に派遣されました。  自国軍をもたないフィレンツェは、ピサ戦線の膠着した戦況を打開するために、ルイ12世のフランス軍の支援を仰ぎましたが、実際に彼が見たものは、フィレンツェ軍が、傭兵隊長パオロ・ヴィッテリの処遇にほとほと手をやき、フランス軍もまた、スイス傭兵隊の給料の支払いが滞り、到底戦えないという惨状でした。

続きを読む
1


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ