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2010/5/30

Rothschild-31  キューリー夫人  ロスチャイルド

現在、世界中で432基(2008年IAEAデータ)以上の原子力発電所が稼動し、EUに於いては電力の約30%を核エネルギーから得ており、フランスに於いては総発電力の約80%を原子力発電でまかない、ヨーロッパ中にその安価で安定した電力を供給しています。 

何故、フランスがこれほど原子力が強いのか、それはパリで放射能の研究をしていたキューリー夫人の研究パトロンが、金融王ネイサンのひ孫にあたるアンリ・ロスチャイルドであった事に遡り、キューリー夫人の娘婿ジョリオ・キューリーがフランスの初代原子力庁長官であった事もあります。

具体的に、アンリ・ロスチャイルドがどのように研究のサポートをしたかといえば、金融から産業資本にも手を出したロスチャイルドですが、キューリー夫人の放射能、すなわち原子物理学に将来性を感じた事、そしてロスチャイルドが保有する鉱山会社リオ・チント・ジンクがウランなど放射性物質である鉱物をキューリー夫人に提供していたのです。  


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2010/5/30

Rothschild-30  石油産業  ロスチャイルド

フランスの鉄道建設のパイオニアとして、「鉄道王」の異名をもったパリ分家のジェームズの息子、アルフォンスが目指したのは、当時の最先端産業である石油です。

産業革命以来、夜遅くまで工場は動き、その灯りをともすため、クジラの油を使っており、その乱獲でクジラが減った事を背景に、石油ブームは起こり、1859年アメリカ・ペンシルヴェニアでの油田発見に始まり、1883年ダイムラーのガソリンで動く内燃機関の発明で爆発的なものとなりました。
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2010/5/29

Rothschild-29  カール・マルクス  ロスチャイルド
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カール・マルクス( 1818 - 1883 )


日本の幕末時代を生き、1848年に 「共産党宣言」 を書いたマルクスですが、彼ほど金持ちに擦り寄った生き方をした男はおりません。 

日本の左翼主義者達のヒーローですが、よく勉強して欲しいものです、彼は労働者の味方と思われがちですが、実は一度も額に汗して働いた事はなく、上流階級の金持ちの令嬢にプロポーズして結婚、そして挙句の果ては、貧乏から脱出するために、常にブルジョアに近づき、孫娘リリアンを、ロスチャイルド系の兵器会社 「シュネーデル社」 のシュネーデル家四代目の御曹司シャルルに嫁がせ、マルクス家はブルジョアの仲間入りを果たしました。



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2010/5/27

Rothschild-28  ダイヤモンド・シンジケート  ロスチャイルド

南アフリカでダイヤモンドが発見されたのは1867年、日本では徳川慶喜が大政奉還を行い、坂本龍馬が暗殺された年で、オレンジ川には一攫千金を夢見る山師たちが世界中から殺到しました。

このダイヤモンド・ラッシュに、ロンドン・ロスチャイルド家のナサニエル(1840-1915)は当初から注目し、代理業者のアングロ・アフリカン・ダイヤモンド鉱山会社に投資し、様子を見守っていました。

雨の後のタケノコのように出現した中小の会社は次第に整理されてゆき、最も良質な原石を算出するキンバリー鉱山一帯は、バーニー・バルナトが経営するバルナト・ダイヤモンド鉱山会社と、セシル・ローズが経営するデ・ビアスの2大会社に集約されていきます。

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2010/5/26

Rothschild-27  クリミア戦争  ロスチャイルド

産業革命により、ヨーロッパ各国は経済力をつけると共に、その製品のはけ口としての市場を奪い合うようになって、争いは容易に軍事衝突にエスカレートするようになりました。

同時に、人々の国家意識が高揚し、封建領主の土地に細分化されていたドイツやイタリアにも国民国家を求める機運が高まり、こうした情勢下で始まったのがロシアのトルコ干渉に端を発したクリミア戦争(1853-1865年)であります。

イギリス、フランスが参戦したこの戦争で、ロスチャイルド家はトルコ側に立ち、戦時公債の起債に協力しましたが、その背景にはロシアでのユダヤ人迫害がありました。

かねてから、ロシアのユダヤ人弾圧政策に反発していたロンドン、パリの分家はそれぞれ総力を挙げてイギリス、フランス両軍の遠征費の調達を行い、トルコにも借款を行い、戦局はクリミア半島のロシアのセヴェストーポリ要塞の攻略に成功したトルコ英仏連合の勝利に終わり、ロスチャイルド家は久しぶりに大きな利益を上げました。


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2010/5/25

Rothschild-26  阿片戦争    ロスチャイルド
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阿片戦争 : 中国軍艦を駆逐するイギリス戦艦ネメシス号


イギリス東インド会社は、1600年にエリザベス1世が独占許可状を与えた、イギリス政府の支援を仰ぐ特権会社ですが、1814年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家が利権支配するようになりました。


当時のイギリスでは喫茶の風習が上流階級の間で広がり、茶、陶磁器、絹を大量に清から輸入していましたが、イギリスから清へ輸出されるものは時計や望遠鏡のような富裕層向けの物品はあったものの、大量に輸出可能な製品が存在せず、イギリスの大幅な輸入超過でありました。

イギリスは、アメリカ独立戦争の戦費調達や、産業革命による資本蓄積のため、銀の国外流出を抑制する政策をとった為、イギリスは植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺しようとし、中国の人々を阿片漬にし、1840年に阿片戦争は起こりました。


阿片戦争
http://www.youtube.com/watch?v=DTfxbyGf6Cs&feature=PlayList&p=D4AD896D81C6719C&playnext_from=PL&playnext=1&index=62

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2010/5/24

Rothschild-25  北方鉄道  ロスチャイルド

ロスチャイルド・オーストリア家のサロモンが、ウィーンとボヘミア北部を結ぶ、ヨーロッパ大陸初の鉄道(フェルディナント皇帝鉄道)をつくった後、パリのジェームズ・ロスチャイルドも負けじと大々的に鉄道産業に乗り出しました。

まず、セーヌ川沿いに、パリ〜サン・ジェルマン間と、パリ〜ヴェルサイユ間の鉄道を完成させ、ついでフランス北部の諸都市とパリを結ぶ、北方鉄道の建設に取り掛かります。  

この他、ロスチャイルド兄弟は、ベルギーの鉄道建設に融資するなど、ヨーロッパの最新の基幹産業である鉄道にいたるところで関与します。  これらの鉄道建設には莫大な資金が必要ですが、そのための起債はロスチャイルド家の得意とするところで、債権購入を一般に公募すると物珍しさも手伝って多数の民衆が押し寄せました。

こうして、ジェームズは鉄道王の名を欲しいままにしますが、この鉄道への投資は、ロスチャイルド家が単なる国家(国王)と癒着した国際金融資本ではないことを示し、金融資本家から産業資本家へと転換するものでありました。


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2010/5/23

Rothschild-24  フェルディナント皇帝鉄道  ロスチャイルド

ロスチャイルド家が国際金融の覇権を握ったこの頃のヨーロッパでは、啓蒙思想(=フリーメーソン思想)、科学技術思想が盛んで、イギリスでは産業革命が起こった時期にあたります。

イギリスに始まった産業革命は、フランスやドイツにも波及し、ヨーロッパの科学技術は著しく発展し、それが後の帝国主義を生み出すことになります。

ジェームズ・ワットが1781年に蒸気機関を完成させ、産業革命が始まったイギリスでは、続いて大量輸送のための蒸気機関車が1814年ジョージ・スティーブンソンによって考案され、産業革命と市マンチェスター〜港湾都市リバプール間で始めての鉄道が走りました。

当時、金融関係の仕事しかしていなかったロスチャイルド一族ですが、イギリスでの鉄道成功を見て、兄弟を集め、それぞれの国で、いち早く鉄道建設の利権を確保して融資にふみきるよう勧め、これにオーストリアのサロモンがとびつき、その正確ながらにじっくりと調査し、着実に計画を進めて、1835年帝国政府から鉄道事業免許を取り付けます。

こうして、ヨーロッパ最初の鉄道は、ウィーンと北部のボヘミア間、およそ96キロメートルの長さで着工されますが、その名もハプスブルグ家に敬意を表し、フェルディナント皇帝鉄道。



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2010/5/23

Rothschild-23  放たれた5本の矢  ロスチャイルド
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マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロスチャイルド財閥の祖)
1764年ドイツ・ロスチャイルド商会創設

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アムシェル・マイヤー・ロスチャイルド (長男)
父マイヤー・アムシェルが1812年に死去とともに、ドイツ・ロスチャイルド商会を引き継ぐ

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ネイサン・ロスチャイルド (三男)
1804年イギリス・ロスチャイルド商会創設

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ジェームス・ロスチャイルド  (五男)
1817年フランス・ロスチャイルド商会創設

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サロモン・ロスチャイルド  (次男)
1820年オーストリア・ロスチャイルド商会創設

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カール・ロスチャイルド  (四男)
1821年イタリア・ロスチャイルド商会創設



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2010/5/22

Rothschild-22  会議は踊る  ロスチャイルド
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正面、右を向かれているのがメッテルニヒ宰相の子孫であるメッテルニヒ公爵
ウィーンで、小生も招待された夕食会に於いて


ナポレオンがロシア遠征で大敗し、退位した後、フランスではルイ18世が即位し、1814年にブルボン王朝が復活し、1814-1815年にかけて、オーストリアのメッテルニヒ首相兼外相が議長を務め、ナポレオン後のヨーロッパ秩序再建と領土分割を検討するウィーン会議が開催。  

しかしながら、各国の利害が対立し進行せず、「 会議は踊る、されど進まず 」 と評されます。  ところが、1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出した報せを聞き、危機感を抱いた各国の妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結されました。


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