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2010/9/10

Rothschild-91  第二次世界大戦に引きずり込まれる日本  ロスチャイルド
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Franklin Delano Roosevelt ( 1882 - 1945 )

フランクリン・D・ルーズベルトは、民主党出身の第32代アメリカ大統領で、小児麻痺による重度な障害を持ち、アメリカ史上唯一、4選された大統領で、彼もまたフリーメーソンでありました。

彼が入会したのは、1911年10月11日に、Holland Lodge No.8, New York ですが、1934年4月13日には、ホワイトハウスで、Order of DeMolay の最初のHonorary(名誉) Grand Masterとなっています。




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2010/9/8

Rothschild-90  第二次世界大戦勃発  ロスチャイルド

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ついに第二次世界大戦が勃発します。  英仏もドイツに宣戦布告、ソ連もポーランド不可侵条約を一方的に破棄し、ポーランドに侵攻しました。



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2010/9/6

Rothschild-89  蒋介石による日英分断  ロスチャイルド

明治時代には蜜月であった日英関係でしたが、イギリスへの恩を忘れ、ロスチャイルドが背後にいるイギリス批判をする日本のお馬鹿な政治家たちのスキをつき、フリーメーソン人脈で日英分断を策略し、日英同盟の破棄に成功したのが、フリーメーソンの蒋介石で、以後日本はイギリスを敵に回し、坂道を転げるかのごとく破滅への道を歩んでいったのです。  これは、今日の日米関係をホゴにしようとするお馬鹿な日本人に対する教訓でもあります。

ちなみに、蒋介石は、パコダ結社のフリーメーソン、妻の宋美齢はアメリカ系フリーメイソンのイースタン・スター結社の会員であります。



日英同盟から学ぶ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/146.html
フリーメーソン-2  中国進出
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/592.html


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2010/9/5

Rothschild-88  オレンジ計画  ロスチャイルド

日清戦争のわずか2年後である1897年に、アメリカは日本を仮想敵国として、対日戦略プログラム 「 オレンジ計画 」 を策定し、日本はまさしくこのシナリオ通りに開戦に追い詰められ、大敗を帰しました。
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2010/9/4

Rothschild-87  南京大虐殺の真実  ロスチャイルド

1937年8月9日から始まった第二次上海事変の戦闘に敗れた中国軍は撤退を始め、当時、中華民国の首都であった南京を中心として防衛線(複郭陣地)を構築し、抗戦する構えを見せていましたが、

日本軍は、中国軍の複郭陣地を次々と突破し、12月9日、南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行います。  しかしながら、中国軍がこの投降勧告に応じなかったため、12月10日より日本軍の総攻撃が始り、12月13日に南京は陥落しました。




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2010/9/4

Rothschild-86  通州事件(つうしゅうじけん)  ロスチャイルド

支那共産党(中国共産党)により、盧溝橋事件がおき、日本軍と蒋介石率いる国民党軍の間で衝突が起こり、これが日中戦争(=支那事変=日華事変)に発展してゆきますが、日本側はもともと戦線不拡大方針を表明しており、国民党軍との間に停戦協定が結ばれました。

しかしながら、1937年(昭和12年)7月29日に、支那(中国)はこれを裏切り、たまたま主力が町を離れ、僅か110名の留守部隊しか駐屯していなかった日本軍の守備隊に対し、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。

日本軍守備隊は全滅し、あろうことか、支那保安隊は、日本人居留民に襲い掛かり、ありとあらゆる略奪・暴行を働きました。  日本人女性は暴行された上、局部にほうきを突き刺され、喫茶店の女子店員の生首がテーブルの上に並べられ、子供達は両手両足を切断、男性にはありとあらゆる暴行が加えられ、挙句の果ては、子供の鼻に針金を通し、何人もつないで見たり、腹から腸を出されたりと、国際的常識感覚からもありえない残虐な行為で、国際問題となり、

1937年12月24日、冀東政府(冀東防共自治政府)と日本側との間で交渉が成立、冀東政府は日本側に正式陳謝の上、120万円の賠償金を支払い、事件は解決しましたが、

このような事件の背景の下、「帝國臣民ヲ保護スヘシ」として、上海租界の日本人居留民「保護」を任務としていた海軍陸戦隊は、遂に陸軍に対して派兵を要請し、8月15日、蒋介石が「対日抗戦総動員令」を発令した同日、日本海軍機が南京を空爆し、遂に8年もの長期に及ぶ全面戦争、日中戦争(=支那事変=日華事変)へと発展していったのです。




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2010/9/4

Rothschild-85  支那事変 (=日華事変)  ロスチャイルド

ナチスドイツがオーストリアを併合し、ドイツ全土でユダヤ人迫害・虐殺が行われたのが1938年ですが、その1年前の1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件が起こり、日中戦争(支那事変)に突入してゆきます。

お馬鹿な左翼主義者達は、「 日本が仕掛けた戦略戦争 」 と、戦勝国側のプロパガンダに簡単に乗せられていますが、最初に銃撃されたのは日本側であります。  

それでは蒋介石がひきいる国民党が仕掛けたのかといえば、それも間違いで、事件当時、国民党軍も日本軍同様に銃撃を受けており、国民党軍と日本軍ともに相手側が仕掛けてきたと思い、交戦状態に突入していきました。

実は、これを仕掛けたのは、コミンテルン(1913年モスクワで結成された共産主義の国際組織)
から命令を受けた中国共産党軍の工作員が夜陰に乗じて、廬溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。


その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、


「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」


とはっきりと記述されていますし、1949年(昭和24年)10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、


「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」


と発言しており、中国共産党の責任者自らが 「 自白 」 しているのですから、これ以上の証拠はありません。


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2010/9/3

Rothschild-84  ナチスから金をむしりとるロスチャイルド  ロスチャイルド

ルイ・ナサニエル・ロスチャイルドがナチスに拘束され、アメリカに亡命したお話をしましたが、それでは身代金を要求されたルイはどうやって釈放されたのでしょうか。

中央ヨーロッパ最大の鉄と石炭の産地であるヴィトコヴィッツ炭鉱と製鉄所の所有権は、既にイギリス・ロスチャイルド家の保険会社アライアンスに移されていたので、国際法上ナチスが接収する事は不可能でありました。  

そうして、ロスチャイルドはルイの身代金を平然と拒否し、「 ルイの釈放 」 の条件付で、逆に300万ドルという売値を、ロスチャイルドはナチスに提示したのであります。  そして、2ケ月の交渉の末、ナチスは290万ドルをロスチャイルドに支払い、ルイは釈放されたのです。


自分達を殺しにかかってきている恐怖のナチス相手に、身代金を拒否し、逆に金をむしりとる我等がロスチャイルドには、呆れるばかりで、やはり世界最強の商売人であるといえましょう。



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2010/9/2

Rothschild-83  ルイ・ナサニエル・ロスチャイルド男爵 拘束  ロスチャイルド

反ユダヤ主義が拡大する中で、ナチスが標的にしたのは、ユダヤ系国際金融財閥ロスチャイルドでありました。  

フランス・ボルドーの「ラフィット」と「ムートン」のブドウ園は、ナチスのユダヤ政策に従ったフランス・ヴィシー政権に差し押さえられ、「ムートン」オーナーのフィリップはモロッコでヴィシー政権の関係者に逮捕され、ブドウ園は一時的にドイツ軍の駐屯地として利用されました。

1938年3月、ウィーン分家の5代目当主、ルイ・ナサニエル・ロスチャイルド男爵はナチスに自宅で拘束され、ゲシュタポ(秘密警察)刑務所の独房に移送されます。
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2010/9/2

Rothschild-82  クリスタル・ナッハト(水晶の夜)  ロスチャイルド
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ヒトラーが露骨にユダヤ人迫害を始めたのは、1938年11月9日の 「 水晶の夜 」 からで、ナチス党員の突撃隊がドイツ全土のユダヤ人住宅、商店、シナゴークを襲い、砕け散った窓ガラスが月明かりに照らされ、水晶のように輝いたことから、Kristallnacht(水晶の夜)と名付けられた事件で、  

この事件によって、ドイツ国内の400のシナゴーク(ユダヤ教会)のほとんどが全て焼かれ、7500もの商店が壊され、暴力を受け、殺害されたユダヤ人たちの血や遺体、壊された建造物の瓦礫で、悲惨な光景であったようです。 この事件で、96人のユダヤ人が殺され、25000人のユダヤ人が強制収容所に送られました。 この事件を機に、ヒトラーはユダヤ人の大規模な国外追放を始めるようになります。

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