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2010/9/4

Rothschild-87  南京大虐殺の真実  ロスチャイルド

1937年8月9日から始まった第二次上海事変の戦闘に敗れた中国軍は撤退を始め、当時、中華民国の首都であった南京を中心として防衛線(複郭陣地)を構築し、抗戦する構えを見せていましたが、

日本軍は、中国軍の複郭陣地を次々と突破し、12月9日、南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行います。  しかしながら、中国軍がこの投降勧告に応じなかったため、12月10日より日本軍の総攻撃が始り、12月13日に南京は陥落しました。




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2010/9/4

Rothschild-86  通州事件(つうしゅうじけん)  ロスチャイルド

支那共産党(中国共産党)により、盧溝橋事件がおき、日本軍と蒋介石率いる国民党軍の間で衝突が起こり、これが日中戦争(=支那事変=日華事変)に発展してゆきますが、日本側はもともと戦線不拡大方針を表明しており、国民党軍との間に停戦協定が結ばれました。

しかしながら、1937年(昭和12年)7月29日に、支那(中国)はこれを裏切り、たまたま主力が町を離れ、僅か110名の留守部隊しか駐屯していなかった日本軍の守備隊に対し、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。

日本軍守備隊は全滅し、あろうことか、支那保安隊は、日本人居留民に襲い掛かり、ありとあらゆる略奪・暴行を働きました。  日本人女性は暴行された上、局部にほうきを突き刺され、喫茶店の女子店員の生首がテーブルの上に並べられ、子供達は両手両足を切断、男性にはありとあらゆる暴行が加えられ、挙句の果ては、子供の鼻に針金を通し、何人もつないで見たり、腹から腸を出されたりと、国際的常識感覚からもありえない残虐な行為で、国際問題となり、

1937年12月24日、冀東政府(冀東防共自治政府)と日本側との間で交渉が成立、冀東政府は日本側に正式陳謝の上、120万円の賠償金を支払い、事件は解決しましたが、

このような事件の背景の下、「帝國臣民ヲ保護スヘシ」として、上海租界の日本人居留民「保護」を任務としていた海軍陸戦隊は、遂に陸軍に対して派兵を要請し、8月15日、蒋介石が「対日抗戦総動員令」を発令した同日、日本海軍機が南京を空爆し、遂に8年もの長期に及ぶ全面戦争、日中戦争(=支那事変=日華事変)へと発展していったのです。




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2010/9/4

Rothschild-85  支那事変 (=日華事変)  ロスチャイルド

ナチスドイツがオーストリアを併合し、ドイツ全土でユダヤ人迫害・虐殺が行われたのが1938年ですが、その1年前の1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件が起こり、日中戦争(支那事変)に突入してゆきます。

お馬鹿な左翼主義者達は、「 日本が仕掛けた戦略戦争 」 と、戦勝国側のプロパガンダに簡単に乗せられていますが、最初に銃撃されたのは日本側であります。  

それでは蒋介石がひきいる国民党が仕掛けたのかといえば、それも間違いで、事件当時、国民党軍も日本軍同様に銃撃を受けており、国民党軍と日本軍ともに相手側が仕掛けてきたと思い、交戦状態に突入していきました。

実は、これを仕掛けたのは、コミンテルン(1913年モスクワで結成された共産主義の国際組織)
から命令を受けた中国共産党軍の工作員が夜陰に乗じて、廬溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。


その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、


「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」


とはっきりと記述されていますし、1949年(昭和24年)10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、


「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」


と発言しており、中国共産党の責任者自らが 「 自白 」 しているのですから、これ以上の証拠はありません。


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